谷崎潤一郎の詩人のわかれ2

前回からの続きで、現在、谷崎潤一郎の「詩人のわかれ(此の一篇を北原白秋に贈る)」に挑戦中です。楽しんで読んで頂ければ幸いです。

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以下、『』内の文章は大正8年に春陽堂から出版された谷崎潤一郎著「呪われた戯曲」より「詩人のわかれ(此の一篇を北原白秋に贈る)」を現代語訳した上、引用しております。

『けれどもそんな不自然な関係が、永久に続こう筈はなく、二三年立つうちに誰からともなく段々疎遠になって行き、Bは父親の死に因って遺族の為に責任を持つ体となり、Cは山の手に一家を構えて妻子を養う身の上となり、ただAだけが旅館の一室を根城として、相変わらず漂泊の日を送り耽溺の詩を詠じて居ました。三人の境遇か異なるにつれて、三人の思想や感情や信条の相違が、だんだんハッキリと、作品の上にも行動の上にも現れて来るようでした。自然主義と言うイズムが、文壇を横行闊歩した当時、協力してその潮流に反抗して居た三人は、この頃の人道主義に対しても、いろいろの方面から不満や意義を抱いて居ながら、昔のように一致する訳には行きませんでした。三人は既に三人だけの不満や意義を抱くようになりました。BとCとは折々訪問し合って、Aの飽くまで徹底的な、寛濶(かんかつ)豪奢な放蕩生活の噂をしましたが、面も二人の間にさえも、芸術上の意見に就いては、夥しい経庭(けいてい)があるのでした。つまり三人、各々自分の持つべき物を持って、別れ別れになったのです。そうしてそれは、真の芸術が団体の運動から生まれる物でない以上、詩の世界が孤独を楽しむ人間の瞑想(あいさつ)にのみ開かれる物である以上、彼等の為には互いに仕合わせな傾向でした。
 だが、その三人が昨夜(ゆうべ)久しぶりで、杯盤の間に見(まみ)えた時はどんな心地がしたでしょう
「おいほんとうに暫くだったね。君と一緒に飲んだのはいつが最後だったろう。」
 Aがこう言って、懐かしそうな眼つきをすると、
「いつだったかなあ。──僕はあの時分に、あんまり酒を飲み過ぎて太ったもんだから、糖尿病になっちゃってね。今じゃあ一滴も行かないのさ。君は相変わらずよく続くなあ。」
 こう言って、感嘆したのはCでした。
「しかしこの男がよく酒を飲まずに居るよ。よっぽど命が惜しいと見える。」
 と、Bが冷やかしました。

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 三人の心は期せずして、傍若無人に暴れ廻った四五年前の盛んな光景を、追想せずには居られませんでした。BとCとは、未だに不羈奔放(ふきほんぽう)な酒色の生活を謳歌して居るAの姿に、自分等の昔を見出したような嬉しさを覚えました。
「やっぱりAは可愛いい男だ。さすがに彼奴は道楽にかけては己たちよりも腕を上げた。……」
 以前は武骨は久留米絣に小倉の袴を穿いて居たAが、今ではもう一点の非の打ちどころもない、渋い結城の綿入れに博多の茶碗献上の角帯を締め、悠然と床柱に凭れて、馴染みの芸者と洒落た会話をやり取りしながら、静かに杯を挙げて居る様子を見ると、BもCもそう思わずには居られませんでした。
「Aだけがほんとうの放蕩児だ。己たちは偽物だったのだ。」
二人はそういう気のする傍から、
「己たちだって昔執った杵柄(きねづか)だ。」
 というような了見がむらと起って来るのを覚えました。
 都会の人には誰にでもある、派手な賑やかな男女の社会を恋い慕って、無益な綺羅を飾ったり通を誇ったりする虚栄心が、BにもCにもまだ充分に残って居たのでした。況んや彼等は、寂貘に堪えるには余りに婉転(えんてん)活達な軽口と、余りに豊富な衣食の趣味とを持って居ました。それが或る程度まで、彼等の長所であると同時に動ともすると弱点になったのです。
「どうです今夜は、これから一つ吉原行(トロゲンコウ)と言うような事にしたいもんだね。」
 二次会の席上のどさくさ紛れに、CはBの耳の元でついうかうかとこんな事を囁きました。AとBとは言うまでもなく直ぐ賛成したのです。
 言ってしまってから、Cは飛んだ事をしてしまった。と思いました。「己は馬鹿だ。行きたければ何故独りで行かないのだ。」と、自分自身の心になじりました。よく考えて見ると、彼は吉原へ行きたいなどという気は少しもなかったのです。ただ三人でいつまでも駄じゃれや悪口を言い合って居たかったのです。』

寛濶(かんかつ)・・・ゆったりしているさま。おおらかなさま。又は、派手で贅沢なさま。
経庭(けいてい)・・・隔たりの甚だしい事。かけ離れている事。
瞑想(あいさつ)・・・瞑想に”あいさつ”のルビがふってあった為、このような表記となりました。
不羈奔放(ふきほんぽう)・・・何ものにも束縛されない事。思い通りに振舞うこと、または、そのさま。
婉転(えんてん)・・・しなやかで美しいさま、その様子。または、したがう、素直。あるいは、ものやわらか、遠回しの意味。

l谷崎潤一郎の詩人のわかれ3へ続く

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