谷崎潤一郎の詩人のわかれ4

3からやっと北原白秋が登場し面白さが倍になってきましたね。引き続き、谷崎潤一郎の「詩人のわかれ(此の一篇を北原白秋に贈る)」に挑戦中です。楽しんで読んで頂ければ幸いです。

以下、『』内の文章は大正8年に春陽堂から出版された谷崎潤一郎著「呪われた戯曲」より「詩人のわかれ(此の一篇を北原白秋に贈る)」を現代語訳した上、引用しております。

『田園詩人のFは、その一軒家の二た間を借りて、夫婦で住んで居るのでした。小柄な、痩せぎすな、丸髷に結った夫人が、声を聞きつけて垣根の木戸を明けてくれると、三人は庭へ廻って、古沼の汀に臨んだFの書斎へぞろぞろと上がり込みました。
「この二三日大分春らしくなって来たんだが、今日は風が寒いもんだから、こんなに締め切ってしまったんだ。」
 東から西へ開いて居る廻りの縁の雨戸を立てて、Fはうす暗い六畳の部屋のまん中に、机に凭(よ)って据わって居ました。床の間には、彼の暢達(ちょうたつ)な素朴な手蹟で、自作の和歌を書いた色紙が、古ぼけた横物の紙表装のまま懸って居ます。その外には彼が自分で装丁して自分で出版した詩集の数冊と、彼が大好きな異国趣味の書家司馬江漢(しばこうかん)の版画と、長崎の阿蘭陀人(おらんだじん)の風俗を描いた額と、鳥の巣などが、欄間や柱や地袋の上に散見して居るだけです。
「いや、僕もそろそろ飽きて来たから、東京へ出たいと思うんだが、折角冬を凌いで来たのに、春を見ないで引き移るのも惜しいような気持ちがする。」
「そうだね、春になったら又お花見に押しかけるから、それまで此処に居給えよ。先ず引越しは五月頃かね。」
「五月に越せれば越したいけれど、それもまあ金次第さ。いつになったら金が出来るか、今のところじゃ分らないが。」
 Fはこう言って、童顔の二重眼縁の、無邪気な愛嬌のしたたるような大きな瞳に微笑を浮かべました。
 ここへ来てまで、まだ無遠慮に惚けだの皮□(一文字分、判読不明)だのを連発して、たわいもなくふざけて居る三人の、べらべらした口の利きようと、暖かい南国の新鮮な、濃厚な趣味を暗示するような、Fの太い唇から洩れる重苦しい訥弁(とつべん)とは、一種不思議な対照をなして室内に響きました。
「僕は事によったら、この夏印度へ行こうかと思って居る。実は非常にいい序があって、金なんか持たずに行かれそうだから。……」
「印度なら僕も行きたいな。」
 と、CはFの言葉を引取って、

「しかし僕は、暑さが何より恐ろしいから、行くなら寒い時分にするんだ。」
「熱帯はやっぱり夏でなければ詰まらないさ。何しろ印度という所は、町の中を孔雀が飛んで居るそうだから面白いじゃないか。僕が行ったら、アジャンタの窟へ一と月ばかり籠もってやろうとおもうんだが、途中の山路には虎が出たりなんかするそうだよ。C君にはとても印度へは行かれないだろう。」
 Fはこう言って、長く伸ばした漆黒の髪の毛をさっと後ろへ撫でながら、
「僕は九州の人間だから、熱いのはいくらでも我慢する。──この間巴里から帰って来たSに会ったら、僕のような顔は仏蘭西人(フランスじん)に沢山あるって言われたぜ。」
 ごわごわした木綿の綿入れにくるまって、長煙管で刻みを吸って居るFの体は仏像のように円々と肥えて居るのです。ふっくらとした、マホガニー色の豊頬に一面に生えて居る濃い青髭、やさしい眸(まなざし)の上を覆うて居る地蔵眉毛、──それ等の特長は、いかにも彼の血管に暖国の血の流れて居る事を、証拠立てるように見えました。
 やがて、三人に促されて川甚へ出かける時、
「ちょい待ってくれ。」
 と言って次の間へ這入ったFは、間もなく髭を綺麗に剃って、紺天鷲絨(こんびろうさ)のダブルクローズに、ピンク色の土耳古帽を冠りながら、恰も長崎の「阿蘭陀人」のような風来になって現れました。

 四人が川甚を出て柴又の停車場へ向かったのは、その晩の九時近くでしたろう。青白い新月の光が謎のようにただようで居る田舎路を、ほろ酔い機嫌で蹣跚(まんさん)と歩きながら、彼等はまだくたびれずにしゃべり続けて行くのでした。
「さあて、──何だかいやに寒くなってきやがったな。これから今夜は赤坂へ泊(ハク)として、明日の朝うちへ帰ろうかしらん。……」
 Aが突然心細そうな調子で言って、ぞくぞくと身震いをしました。
「ほんとに寒いな。これじゃあとても酒が持たねぇ。東京へ着いたら早速一杯やらなくちゃ。」
 彼等の眼の前には、もう東京の町の灯が、賑やかそうにちらちらと映って居たのです。そうして、道楽者の必ず経験する、「夕ぐれの悲哀」が、元気よくしゃべればしゃべる程、ますます強く彼等の心を襲って来るのでした。
「おい、どうだい、Fも一緒に東京まで来たらいいじゃないか。」
「行ってもいいがまた今度にしょう。」
 Fは川甚の提灯を持って、三人の先頭に立って居ました。
「……その代り電車で中途まで送って行くよ。押上行きは江戸川の停車場で乗り換えだから、其処で別れて引返すとしよう。」
 柴又の終点で電車に乗ってからも、三人はいろいろに勧めて見ましたが、Fはやっぱり帰ると言うのです。』

暢達(ちょうたつ)・・・のびのびしている事。
訥弁(とつべん)・・・つかえながら喋る事。その話し方。
蹣跚(まんさん)・・・よろめきながら歩くこと。よろよろ歩くさま。

谷崎潤一郎の詩人のわかれ5へ続く

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