谷崎潤一郎の詩人のわかれ5

5は3から登場した北原白秋氏との別れが綴られています。谷崎潤一郎の「詩人のわかれ(此の一篇を北原白秋に贈る)」に最後までおつき合い下さりありがとうございました!

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以下、『』内の文章は大正8年に春陽堂から出版された谷崎潤一郎著「呪われた戯曲」より「詩人のわかれ(此の一篇を北原白秋に贈る)」を現代語訳した上、引用しております。

『次の停車場の、江戸川駅のプラットフォームに降りた彼等は、乗り換えの電車の来るのを待つ間、暫く管を巻いていました。
「人道主義と言うのが流行るが、ありゃあ一体どんな主義だい。人道と言やあ往来の片側を歩く主義かね。」
 三人のうちの誰かが、こんな事を大きな声で怒鳴ったようでした。
「それじゃ僕は、もう失敬しよう。」
 Fは消えた提灯に明りを入れながら、こう言って握手を求めました。
「だって君、まだ電車が来ないじゃないか。」
「電車へ乗ったって、僕の所は半ばだから仕様がない。歩いて帰れば十一時までには着くだろう。」
「君ん所まで、ここからどのくらいあるんだね。」
「一里半ぐらいあるかも知れない。たびたび歩いて、道はよく分かって居るから大丈夫だ。──それじゃ失敬。」
 Fは友人の手を一人一人に握り緊めた後、提灯を振りながらすたすたと歩き出しました。
 其処に佇んだ三人は、誰からともなく口を噤んで、停車場のアーク燈の光りの中から、次第々々に田圃(たんぼ)の闇へ消えて行くFの姿をじっと視詰めて居るのでした。
「とうとう帰って行きやがった。──」
 やがて、Aの唇から、酔いどれの独語じみた言葉が、不意に悲しげに発せられました。
「ほんとうになあ、何処となく可愛い男だよ。彼奴あえれぇ所がある。──」
 BとCとが気が付いて見ると、Aの眼には、其の時、涙が一杯に溢れているようでした。

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 三人に別れを告げて、田圃の夜路をとぼとぼ歩き出した詩人のFは、二三町進むと提灯の蝋燭が尽きたので、月明かりを頼りに畦を辿って行きましたが、そのうちに月も西の空に沈んで、辺りは全くの暗闇になってしまいました。十一時までには家へ帰って、妻の顔を見られると思っていたのに、どう道を踏み迷ったのか、いくら行っても見渡す限り茫漠とした野原が続いて居るばかりです。人に尋ねようと思っても、蝋燭を買おうと思っても、一軒の家もなければ、一人の通行人もありません。
「己は先から、たしかに三四里ぐらい歩いて居る。もう何処かの村へ出なければならない筈だ。」
 そう考えると、Fは俄に恐ろしくなって、無我無中で田でも畑でも構わずに飛び越えて行きました。木の根に躓いて顔を擦りむいたり、水田に落ちて泥だらけになったりしながら、凡そ六七時間も彷徨(さまよ)いましたが、未だに夜の白(しら)む様子もなく、覚えのある街道へも出られません。
「ああ、もう仕様がない。明るくなるまで此処で野宿をしてやろう。」
 とある雑木林の陰へ来た時、Fは体が綿のように疲れて、腹が減って、一寸も動けなくなったので、ばったり其処へ倒れてしまいました。
 その後何時間ぐらい立ったのか分かりませんが、昏々と眠っているFの耳元で、何者とも知れずひそひそと囁く声が聞こえました。
「Fよ、貧しい、哀れな田園詩人のFよ。お前は少しも落胆するには及ばない。私は今日、お前を試してやったのだ、お前が自分の守るべき詩の国を捨てて、他人の誘惑にかかるかどうかを、試してやったのだ。お前はほんとうに、自分の芸術に忠実な男だ。お前は人間の世の浅ましい栄華を捨てて、浄い楽しい詩の世界の、永劫の快楽に身を委ねたのだ。私はお前が、堅固に操を守っている褒美として、私の足に着いて居る真珠の瓔珞(ようらく)をお前に上げる。お前はその宝玉をお前の国の貴族の御殿へ持って行って、金に換えて貰うがよい。そうしてその金で、直ぐに印度へ行くがよい。印度の国の神々は、印度の国の自然美は、お前の詩によって歌われる事を待って居るのだ。私はそこから、わざわざお前を迎えに来たヴィシュヌの神だ。」
 こう言われて、Fがふと眼を覚ますと、不思議にも彼はいつの間にか、自分の庵の、古沼の滸(ほとり)に運ばれて居ました。沼にはさながら満月の夜に似た皎々(こうこう)たる光が漲って、波の間から、七頭の蛇(じゃ)アナタに乗った妖麗なヴィシュヌの神が、徐かに彼の傍へ近寄って来る様子です。
 Fは瞳晦むような眩ゆさを覚えながら、神の前に跪いて、白蓮の花よりも柔らかい踝(くるぶし)の瓔珞の珠を抱えたまま、貴い足の指先に接吻しました。その指先からは彼の大好きな南洋の果実ザムボアの汁が、滴々(てきてき)としたたり落ち、彼の眼からは感謝の涙が潜々(さんさん)として流れ落ちました。(一九一七、三月作)』

瓔珞(ようらく)・・・原著では、”えつらく”とルビが振られているが、現在では、”ようらく”と読む。宝石類を連ねて編み、仏像の頭や首、胸などにかけた飾りを指す。

 はい、お疲れ様でした!実に意外な幕切れに読んでいて驚いたのではないでしょうか?谷崎潤一郎の中では、北原白秋はヴィシュヌ神に連れられて、あの世に逝ったのだとしか考えられなかったのでしょう。作中でも、随分と谷崎潤一郎が北原白秋を敬愛している事が窺えますね。色々と面白いエピソードが多い谷崎潤一郎ですが、北原白秋に対しては非常に純粋な一面で持ってこの文章を書き記したように思えてなりません。彼の持つ素直さが、一番如実に表われている作品だと思いました。

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