徳田秋声の折鞄(おりかばん)2

本日、2月1日徳田秋声先生!お誕生日おめでとうございます!先生の作が末永く後世の方に読まれる事を深く祈念しております。さて、小説を入力してみようチャレンジ、前回に引き続き昭和3年に改造社から出版された現代日本文学全集 第18篇 徳田秋声集から「折鞄」に挑戦中です!ここでは左記の小説を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。徳田秋声の研究の一助になれば幸いです。

『 その晩も、それほど気分が悪くなかったけれど、一晩熟睡すると、翌朝はまた、何のこともなかった。そして不断のように働いていた。それでその翌晩(よくばん)もまた町へ出て行った。
 それから又一日おいて、親子は三人で暮れの町へ出て行った。別に大した買いものもなかった。化粧品屋で何か二三品(ぴん)彼女が買っただけであった。
「どこかへ行こうかな。」融は途中旅へ出る自分を想像した。
「行ってらっしゃいよ。」彼女も勧めた。
「余り遠いところはいけないし、近いところは一杯だろうしね。」融は不決断に言った。
 彼等は、いつもの家(うち)で、彼女の好きな鮨を食べに寄ってから、帰路についた。
 途中融は思い出したように、鞄屋の飾店(かざりみせ)の前にふと立止まった。
「一つ買おうかな。」彼は子供のように惹着(ひきつ)けられた。
「お買いなさい、お買いなさい。」妻も賛成した。
「お父さんが使わなければ、僕が持って歩いてもいいや。」
「それも可(い)いだろう。」
 三人はぞろぞろ鞄屋へ入って行った。そして品物の選択に取りかかった。ああれかこれかと三人で良久(ややしば)らく詮議した果てに、彼女の助言で、到頭(とうとう)その中の一つに決めた。そういう場合の彼女の助言が、いつも不決断な融の意志を決定させた。必ずしも彼女がいつでも好(い)い買いものをするとは決まっていなかったかも知れなかったが、よく物を買いそこなう融には遠慮のない助言が必要であった。
 融は何だか嬉しかった。そして家(うち)へ帰ってからもいじくりまわしていた。彼はそれを提(さ)げて、ちょっと何処かへ行って見たいような気がした。

 その折鞄をさげ出して、融が駅前のホテルへ行ったのは、その翌日の晩方であった。融は年のうちに遣らなければならない小さい仕事が、まだ二つ三つあった。それに最近持病の胃腸がまたちょっといけなくなって、暫くお粥ばかり食べていたので、何処か暖かい海岸の温泉へでも行(ゆ)きたいと思ったが、仕事の都合でそうもいかなかった。彼はしかし健康は害していたけれども、気分は寧ろ積極的に傾いていた。今迄やって来た仕事や、現在の生活境地にある飽き足りなさと空虚を感じていたので、いくらか根本的な計画に取りかかりたい希望に急立(せきた)てられていた。そしてそれと同時に、自分自身の健康と妻の健康とをすっかりよくしなければならないことを感じていた。そしてもし経済状態が許すならば、家庭を離れて、静かな孤独の生活に入りたいとも願っていたが、長いあいだ染みこんだ家庭の臭(くさ)み──それは重(おも)に彼女特有の気分や流儀から割り出されたところの、決してそう無趣味でも不愉快でもないながらに、余りに世俗的で外面的な仕事に煩わされがちなことや、一応目端(めはし)がきいて、しっくり彼の気分に合ってゆくらしく思われる、日常生活の底に、どこか本当に融け合って行(ゆ)くことのできない、性格や気質から来ている矛盾が、遂にどうすることもできないものであることに、気づいて来ていたからであった。極端に言えば、彼女がほんとうに彼のものになり切ってしまったのは、三年前脳溢血で死んだ彼女の母を失ってからだと言ってもいいくらいであった。それでもまだ、小心で臆病で勝気な彼女は、ほんとうに自分の両手をひろげて、良人の胸に体を投げかけて来ることのできないような、それは遠慮といっていいか、頑固(かたくな)といっていいか、兎に角良人を信じ切ることのできない硬い感じが、彼女をひどく窮屈で哀れなものにしていた。そして何かにつけ人情ぶかい彼女ではあったけれど、本質的な深みのある夫婦愛には触れえなかった。恐らく融も、長いあいだの色々の場合における自己保存の必要から、対立的に自我的にならずにはいられない事情もあって、彼女が母を失うまでは、本当に彼女をいとしむことが出来なかった。
「Mーは郵便を出すのに不便だし、熱海や湯ヶ原も億劫(おっくう)だし、いっそ松の内だけでもホテルへ出てみようかしら。」
 融は二三日前、東京へ出る度に、いつも泊ることにしている、そのホテルへ来ているSー氏(エスし)夫妻にある劇場でひょっくり逢って、一緒に観劇に行っていた子供の一人をつれて、帰りに銀座のふじ屋の食堂へ入ってから、ホテルへ同道して、その部屋で暫く遊んで帰った。その時「暫くここへ来てもいいな。」とふと考えたので、ちょうどSー氏夫妻も来ているし、原稿を出すのにも便利なので、ポートフォリオをさげて、そこへ行ってみようかと思った。子供のないSー氏夫人はその時融の子供を見て、大きくなったのに驚いていた。
「お湯へお入りになりませんか。」夫人はお愛想(あいそう)に言った。
 融の長男はどんな人中(ひとなか)へ出ても、どんな豪(えら)い人の前へ出ても、うつむいたり硬くなったりするような事は、決してなかった。余り卑俗な人間でさえなければ、どんな年長者とでも離しの調子を合わすことの出来る性質に生まれついていた。そして融が辞退したところで、夫人は子供に勧めた。
「さあ。」彼はにこにこしていた。
「今用意させましたから。」
「そうですか。それなら入ってもいいですが…。」
 後でSー氏の子供観が出たりしたが、融は子供と一緒であっても、少しも父親らしいぎごちなさを感じなかった。』

徳田秋声の折鞄(おりかばん)3へ続く

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