徳田秋声の折鞄(おりかばん)4

小説の入力を続けていると、以前は1500字入力したら沢山打ったなあ!と思っていたのですが。今はそれに慣れて、2000字ちょいまで楽に入力できるようになりました!継続は力なりですね。ここでは、昭和3年に改造社から出版された現代日本文学全集 第18篇 徳田秋声集から「折鞄」に挑戦中です!ここでは左記の小説を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。徳田秋声の研究の一助になれば幸いです。

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『「そりゃあ、よし子をつれて行けば安心だけれど、大変だぞ。五日くらいいいじゃないか。」
「そう行きたいと思いませんね。勿体ないですもの。子供がもっと大きくなってから…。」彼女は矢っ張り気が進まなかった。
「子供が大きくなる時分には、こっちが年を取りすぎてしまう。」融は言ったが、病気のある彼女が、長い旅に堪えるかどうかは不安であった。
 彼女は行(ゆ)くと言っても、融がつれて行ったかどうかは素(もと)より疑問であった。彼の頭脳(あたま)は最近殊に忙(せわ)しかった。行楽的な旅などする余裕はなかった。ホテルへ来る前の晩か、その前の晩かにも、彼は不断のように、家庭の年末気分とは全く離れた、彼一人の世界を考えていた。
「お餅を切ってくれませんか。」
 ホテルへ立つ前の晩にも、餅を切っていた妻がいきなり融に言った。不断なら切ってやろうと言っても、後で手がふるえるのを案じて、切らさない彼女がどうしてそんな事を言ったのかは、その其の時の彼には全く気のつかないことであった。
「冗談じゃない。おれはそれどころじゃないんだよ。」
 融は読みたい本を少しづつ集めようと思って、その晩も子供をつれて、本屋をあさりに出た。妻も買いものがてらついて来た。

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 銀座から帰ってから、融はSー氏夫妻の部屋で、二時間も話しこんでしまった。
 翌朝もSー氏夫妻と時に顔を合わしたが、おもに新聞を書いたり、雑誌を読んだりした。
 晩には、夫妻にさそい出されて、風月の食堂へ行った。
「やっぱり風月がいいのかね。」
「どうだかわからんが、Mーなんか一番旨いと言っているかね。あの連中は西洋にいて、洋食の味は知っているんだろう。××屋(俳優)もよく行くよ。」
「僕も久しく行ってみないから。」
 三人は自動車をやとった。Sー氏夫妻の生活振りが、砂金かなり余裕のある幸福なものになっていることが、融にも感づけた。それも子がないからだと思われた。彼は子供を多勢(おおぜい)もったことを、不仕合せとも仕合せとも考えなかった。ただそういう風に運命づけられた自分の生活だと思うだけであった。自分のように何時(いつ)までたっても子供っぽい人間には余りふさわしい運命だとは思えなかったが、子供で苦労して来た自分が、真実(ほんとう)の自分だという感じもするのであった。
「Sーに多勢(おおぜい)の子供をもたせたら。」融はちょっと皮肉な考えを浮かべて見たりした。
 兎に角子供をもたないSー氏の前では、自分が弱者であることを感じないではいられなかったが、それも世間的生活だけの意味であった。事によると、それは単に経済的な問題であるだけで、そう本質的なものではなかった。
 自動車の窓にうつる日本橋や京橋のお踊りは、昨夜(ゆうべ)と同じく人の海であった。
 風月の食堂ではSー氏夫妻はお馴染みであった。融は幾年目かで来たが──無論震災で昔の建ものは焼けたにしても少数の御定連(ごじょうれん)に旨いものを喰わせる家(うち)だという落ち着いた感じがあった。大晦日のことで、客はそう立てこんでもいなかったが、三人ばかりの子供をつれた、四十三四の紳士夫妻が、ここで年越しの晩餐を楽しんでいるのが、何となし融の目を惹いた。融は今頃家(うち)でも、妻の拵えた煮もので、子供たちが打ち揃って年越しをしているのだろうと思うと、その方が旨く味わえるような気がした。大きい方は銀座でも歩いているかもしれないと思った。兎に角彼は家庭人の悲哀と言ったような気分に躓いたような感じであった。実際彼が家庭人かどうかは疑わしいので、今目の前に見る紳士のような怡楽(いらく)は、感じていないのであった。むしろ人間的な悲哀が、彼を繋ぎ止めているに過ぎなかった。
「これは旨いんだろうかね。」融はカリフラワーを食べながら言った。
「こんなものちっともおいしくはありませんわ。」夫人は若い娘のように言った。
「ここは一番リファインされた料理なんだろうが…。」
 食事がすんでから、ストーブの傍でお茶を飲みながら料理の話しをした。
「ここのビステーキが有名なんだそうだ。」
「ビステーキは確かに好いな。まあ食ったあとの腹工合の好いところを見ると、調理の好いことだけはわかるようだ。そういう点が好いんじゃないかな。」
 それから其処を出てから、銀座へ出た。途中で近代劇の舞台へでも出て来そうな洋装のHー氏夫妻に出会った。連中がライオンへ来ていることを、Hー氏は告げたので、帰りにライオンへ寄って、その人達としばらく話しを交えてから、やがて其処を出た。』

怡楽(いらく)・・・よろこび楽しむ事。

徳田秋声の折鞄(おりかばん)5へ続く

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