徳田秋声の尾崎紅葉2

小説を入力してみようチャレンジ、前回から趣向を少し変えて伝記に挑戦中です。昭和3年に改造社から出版された現代日本文学全集 第18篇 徳田秋声集から「尾崎紅葉」に挑戦中です!ここでは左記の伝記を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。徳田秋声と尾崎紅葉の研究の一助になれば幸いです。

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『 我楽多文庫の発行とその運命
 硯友社(けんゆうしゃ)という芸術的結社の機関として、我楽多文庫の発行されたのは、実に十八年の五月で、紅葉山人(こうようさんじん)時に歳わずかに十九歳であった。
 先生自身の談話として国木田独歩氏の「紅葉山人」なる評伝に記されたものに、左(さ)の如き数章がある。曰く、
    
    その頃世間に持て囃された読みものは春のや君の書生気質(しょせいかたぎ)、南翠君(なんすいくん)の社会小説、それから篁村翁(こうそんおう)の読売新聞における軽妙な短篇であった。それらを見て山田美妙(やまだびみょう)とよく話し合ったことですが、この分なら一二年内にはこっちも打って出て一合戦(ひとかっせん)してみよう。末には天下を…などという大気焔もあったのです。
    ところへ石橋思案(いしばししあん)が来て、ただこうしていても詰まらんから、修行のため雑誌を拵えてはどうかというのです。で、会員組織にして、同志の文章を募ろうというので、山田石橋と三人手分けして会員を募ると、学友その他で二十五人も得ました。今日(こんにち)になってみると、会員の変遷は驚くべきもので、死亡行方不明、音信不通等で、知れている分では機械輸入の商会にいるもの一、地方判事一、法学士一、工学士二、地方病院長一、生命保険会社員一、鉄道駅長一、商館の番頭が二、漁業家建築家で米国にいる者二、大阪と横浜とで銀行員二、三州の在で樹を植えているのが一、中学教員が一、某省(なにがししょう)の属官が二、石炭売り込みが一、等々(とうとう)。

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 それについて独歩氏はこんな事を言っている。曰く、「果して然らば、運命の神の指揮いかんによっては何々中学校はその教授に尾崎徳太郎を得たかも知れない。東海道何駅の駅長に文学好きの尾崎某(なにがし)を得たかも知れない。要するに当時大学予備門にいた一青年尾崎は、天職として一生を詩神に献(ささ)ぐべく決心して文壇に上ったのではないらしい。しかし運命の神に謝(しゃ)す!爾来二十余年、兎も角余輩は紅葉山人を得た。我が明治の文壇は洋装文学の泰斗(たいと)を得た。そして幸いに横浜商館の番頭に尾崎徳太郎なる何処の馬骨(ばこつ)とも知らない姓名を見出さないで済んだ。紅葉山人!彼の名の今日(こんにち)なんぞ隆々(りゅうりゅう)たる!露伴と併称されて、政界の伊隈(いわい)、劇界の団菊(だんきく)、文界の紅露という、何人(なんびと)も兎角の意義を挟(さしはさ)むことの出来ない大立者(おおだてもの)の紅葉山人!余輩は彼の大成功を祝する。」云々(うんぬん)。
 しかし芸術家の出現は大抵こうしたものである。混沌たる明治文学の初期においては、特にそうである。夏目漱石氏も「ホトトギス」に「我輩は猫である」を書き初めなかったら、一(いち)大学教授で終わったであろう。天才詩人露伴もまた、その前身は北海道あたりの郵便局員であったとか聞いている。
 硯友社の起こり、我楽多文庫の発刊等については、様々の話しが伝わっているが、末梢的(まっしょうてき)のことで、筆者の地方などにもそういう企てはあったのである。ただ当時の硯友社の気分を伺うために、硯友社戯則(ぎそく)というのを掲げてみよう。
  一、戯則は規則の洒落にして、国音驥足(こくおんきそく)に通ず。驥足(きそく)は笑名抄(これで和名抄”わみょうしょう”とよむのサ)に馬の足とあり、これは初めのうちこそ馬の足でも本社の舞台で腕を磨けば、つまり千両々々という価値が出るとは、ハテ深い意味ね。
  二、本社は男女老少悴不悴(なんにょろうしょうすいぶすい)、水にすむ船頭、花をうる老爺(ろうや)、生きとしいけるものの会員たることを許すなり。但し自惚生酔(うぬぼれたまえい)のお客様はご入会を堅くお断り申し上げ候。
  三、本社は毎月(まいげつ)一回、我楽多文庫を刊行す。これは売買禁制の品なれば、銭かねづくではとんと自由になりませぬ。むかしの名妓(めいぎ)によくある奴也(やつなり)。
  四、会員は毎月(まいげつ)金拾銭(きんじゅっせん)を納むべし、というと他人がましいが、やはり例の京伝流(きょうでんりゅう)サ。
  五、文庫は三門に種類を別け、第一門を小説とし、心織筆耕(しんしきひっこう)と名づけ、第二門を戯文(ぎぶん)狂歌俳句新体詩などとし、千紫万紅(せんしばんこう)と名づけ、第三門を五三桐(ごさんのきり)の飛花落葉(ひからくよう)(デエブ洒落るノ)と名づけ、狂句端唄(きょうくはうた)都々逸落謎(どどいつおちなぞ)とす。どれもこれもとかくお気に入るの門なり。
  六、おやしきでは不義をきつい御法度とす。本社にては焼き直しが大の禁物なり、それもコンガリ狐色なら編集方が方寸(ほうすん)のうちにあります。
  七、第六の戯則(ぎそく)を破り、至って腹の黒装束が、折々忍びこむときは、編集方がすかさず曲者(くせもの)待てと引き戻しても、当て身をくらって取り逃がし、ウスドロの鳴り物で紙上へあらわるることなきにあらず、方々(かたがた)ご油断めさるな。右の條々肝に銘じ、掌へかき付け、舐めておくべき者也(ものなり)。
 これは勿論紅葉先生の筆で、洒落にしても幼稚なものだが、鼻うごめかして得意満面の悪戯(いたずら)な様子が目に見えるようである。』

泰斗(たいと)・・・泰山(たいざん)北斗(ほくと)の略。世間から重んじられる権威者、またその道の大家。
驥足(きそく)・・・優秀な素質を持っている人。

*文中において、「吾輩は猫である」が「我輩は猫である」になっていますが、元の文章ではそのようになっておりましたので、「我輩は猫である」と表記しております。

徳田秋声の尾崎紅葉3へ続く

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