徳田秋声の尾崎紅葉7

またもや更新の間が開いてしまいました!年度末が近いので仕事の忙しさに拍車がかかっていますね。ひき続き小説を入力してみようチャレンジ、只今、伝記に挑戦中です。昭和3年に改造社から出版された現代日本文学全集 第18篇 徳田秋声集から「尾崎紅葉」に挑戦中です。ここでは左記の伝記を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。徳田秋声と尾崎紅葉の研究の一助になれば幸いです。

『 それにしても書くことの何という巧さであろう。そして又通人的な何という豊富な知識であろう。「三人妻」に至って、先生は心持ちよくそれを傾けつくしている。
 以上の作品には甘い人情が蜜のように滴っている。普通一般の婦女子に受けるような話しばかりである。悲劇的な深刻味は薬にしたくもない。生きる事の悩みなどは何処を捜してもない。勿論恋愛の悩みなぞは到るところに出ているし、貧乏人の苦しみもないことはないが、それらは皆通人的な物の見方と洒落とに撫でそやされて、見るから美しいたのしいものになっている。
 「夏痩」には在来の日本婦人の最も悦ぶ、日本人的忍従以上の犠牲的精神が顕現されている。これらは近代風に考えれば、最も東洋的な悪ごすい利己的な道徳観のようにも考えられるのであるが、主人公の美代の性格や心理には少しもそうした心理の影がない。美代はかつて奉公した主家(しゅか)の令嬢、淫奔(いんぽん)なゆかり子のために愛する良人(おっと)を盗まれて、人間の最も美しい犠牲を発揮し、その不義の子供まで引取って育てるというに至っては、やや旧劇風の二番目ものの甘い人情に陥りすぎて、センチメンタルすぎる厭味があるのであるが、美代の性格が駘蕩(たいとう)たる春風のようなものなので、格別賢婦(けんぷ)らしい意識もなしに、いと易々とそうした道徳を実行している。そしてそれが奇蹟のように、何の破綻も淀みもなく、すらすらと実現され、ひどく目出度い結果になっている。美代のしていることは何といっても洒落気(しゃれぎ)の多い江戸ッ児である。男で苦労しぬいて来た、商売人あがりか何かでなければ出来ない芸当である。美代はそれにしては余りに無邪気にその一大事を、するすると容易く仕遂(しと)げてりう。筆者が巧みな人情話しだというのはその点である。
 一つこの作品に特異な点は、最後の四五行に現れた作者の道徳もしくは意気である。
 
    そのご震策(しんさく)は謹直にして、美代は貞実(ていじつ)にして、不義の娘震子(しんこ)は健康なり。当年十四五の男子が嫁ほしき時節にはこの子年頃なれば、うかと色に引かれてこれを娶りたまうな。不義の土に貞操の花咲かず、震子の性質心許(こころもと)なければ誰も用心あるべし。(士族蓮田震策長女震子)、幾たびも肝に銘じ忘れたまうべからず。これは不義の子なり。震子は不義の子なり。
 
 先生の面目は以上の数行に躍如としている。
 「むき玉子」はこれとほとんど材料こそ違え、人情の描かれた人情美(にんじょうび)と話術の巧妙さにおいて、文章の豊麗な点において、姉妹編とも言っていい作風である。しかも淫蕩なる令嬢と男との恋愛があるだけ、「夏痩」の方に事件的の深みがあるが、これは書家とモデルとの初々しい愛を、先生一流の巧妙な描写で、極めて自然に表現したものである。文章もそう大して彫琢(ちょうたく)の跡をとどめていないが、この恋愛描写の段取りの巧みなことは、驚くに堪えたものである。
 「三人妻」は以上二篇に比べると、題材を花柳界に取ったものでもあり、筋や人物も複雑多様であるだけに、まず長篇小説といっていい。筆者は前篇だけ読んだのである。描写の筆の濃艶で精緻かつ自由なことは、以上二篇の比ではない。誠にこれは先生の作家としての手腕を傾倒したものではなかろうかと思われると同時に、他(た)の二篇の人情美を謳っているに反して、これは爛(ただ)れた享楽世界の絵巻物である。これは又紅葉山人の通人としての一面を最も自由に発揮したもので、艶っぽい点において、真に一代の才人たる先生の代表作たるに恥じないものであろう。この作品では先生はたしかに遊蕩文学、耽美主義的芸術家の要素を生まれながらいかに多分にもっているかを証拠立てるに十分である。勿論これにも先生一流の道徳説法やそれに基づいた社会観が皆無だとは言わないけれど、以上二作から見ると、遙かに戯作気分の勝ったものである。今作品の年代をつまびらかにしないが、恐らくこれは二期といっても大分前のものではないだろうか。その筆の爛熟した点と、結構の大きな点においては、以上二作よりもむしろ作家的天分の豊かさを力強く語るものであろうが、戯作気分の多いことから見ると、或いは前のことかとも思う。これは年表を見ればすぐわかることであるが、しかも作品としては「伽羅枕」と伯仲(はくちゅう)のあいだにある傑作ではないだろうか。読んで面白いことは、今の大衆文芸家などの遙かに及ばないところである。勿論作品の内容から言えば、前篇を読まないから分からないけれど、これを今日(こんにち)の標準で芸術品と呼ぶには余りにも放漫なもので、単にそれが放埒な享楽世界の絵巻物であるがためばkりではなく、又その人物が殆ど人格らしい何らの陰影をもたない、極めて定休な当時の請負師とか芸者とか遊蕩児のようなものであるがためばかりでなく、作品の動機が戯作者風の道楽から来ているとみるよりほかない。娯楽的読みものとしては、文字を解するものに取って上等の読みものであろうが、内容はかなり粗漫(そまん)なものである。柳橋芸者の意気を見せた面白いところ一節ぬいておく。

    卑しき言い分なれど、我は十年来かつて土器色(かわらけいろ)の紅裏(もみうら)に肌触しことなく、小紋の星直しを引張りしこと無く、新しく染める時は薄色(うすいろ)にして、後を濃くして二度の勤めの襲(かさ)ねを身に着けしこともあらず。これらは団助応来(あでんすけおうらい)の雪見芸者の苦し紛れの内証なり。些細の事なれど、雀の羽色(はいろ)は鶯に似るべくもあらず、鷹は穂をついばまざる理にして、彼等とは一様にならぬ柳屋の才蔵(さいぞう)様は、心(しん)から外見(そとみ)まで自然と柳橋芸妓(げいしゃ)にできたる正銘物(しょうみょうもの)。かかる御方を色に持つこそ、男と生まれたるもののこよなき冥加(みょうが)と三拝して、寝るにも此方へ足を向けず、我尊像(わがそんぞう)を掛地(かけぢ)にして、朝夕御酒(おみき)に玉子酒、供物には鰻鯉(まんり)の蒲焼きを供え、逢わぬ日もいますがごとくつかうべきに、本恋(ほんこい)ということ知らぬ男め、我を日本に幾人もざらにある女か何ぞのように思い、鯛くいつけたる口に鰯の飯(めざし)の摘まみ食いしてうまがる天の邪鬼、冥利(みょうり)を知らぬ奴に才蔵さまの難有味(ありがたみ)を知らせてやるべし。

 言いぐさが先生一流の理屈である。この意気の高い才蔵という芸者のきりりとしたところは、しかし、その口の割りには出ていない。それがひどく善人に出来ているところに、芸術家としての先生が、いかに温和な人情家だかということが解るのである。
 尚、後篇は読まないが、その中に劇場の描写がある。この種の描写としては上乗のものであると思うから一節をぬいておく。
 
    幕間に二人の立つを見るより、男はつと身を起し、疾足(いそぎあし)に跡を慕いて茶屋を見届け、やがて物案じ顔にて帰りけるが、眼色もただならず、心の落ち着かぬそそくさに、火のつかぬ巻莨(まきたばこ)をくわえて、人無きうづらもなつかしく待つ程なく、どろどろと雪颪(ゆきおろし)の音凄まじく聞こゆる頃、二人は紺の中形(ちゅうがた)の浴衣に衣かえて、見るから涼しげにいでたち、茶屋の女房を始め、五六人の男女に送られて入り来たりぬ。かの男とは幕の開きかかるにもかまわず、また升を飛び出して、仮花道の口よりうづらの椅子を窺いで、しばし佇むを制せられ、梯子をのぼりて三階の運動場に、銘酒売る店の椅子に腰かけ、欲しくもなき葡萄酒を一杯取りて、巻紙硯箱を借り、あたりに人のあらぬを幸いに、仮名にて細かくしたため、引きゆわいて手のうちに隠るるほどの文(ふみ)にして袂に入れ、この幕は見ぬ気にてゆうゆう酒を飲み、後は氷ラムネ、胸のすくはずの水もつかえて、半分にして立ちぬ。場所へは還らず、つけの音を余所に聞きて、例々ごとの思いある方を望み、折々は舞台を覗きて、この幕の長きを待ち遠なる顔色。

 以上諸作は元禄風の雅俗折衷体であるが、「三人妻」はことに西鶴風である。』

彫琢(ちょうたく)・・・宝石などをカットし研磨すること。あるいは、文章や詩などを推敲し立派な作品にすること。美しく磨き上げること。

徳田秋声の尾崎紅葉8へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です