泉鏡花から尾崎紅葉への思い1

筑摩書房から出版された現代日本文学大系3「尾崎紅葉、内田魯庵、広津柳浪、齋藤緑雨 集」から泉鏡花が尾崎紅葉について解説している「我が尾崎紅葉観」を以下に全文掲載しております。
現代においては読めない、読みにくい文字についてはふりがな及び平仮名、新漢字で表記をしております。紅葉先生と同じく言葉に大変苦心された泉鏡花先生の美文の要素が減ってしまうと、お嘆きになるかもしれませんが、読めなければ意味が無いため予めご了承下さい。先生の手つかずの文を拝読されたい方は、この文学大系3をご購入されることをお勧め致します。

我が尾崎紅葉観

    

泉 鏡花

 これまで幾度か繰返して、この金色夜叉の両主人公、貫一、宮、それから篇中の大立(おおだて)もの荒尾譲介のモデルにおいて喧伝された。今も尚おしばしば風説(うわさ)される。否、ただ風説されるばかりではない、中には自らそのモデルたることを揚言する人々さえあるように仄聞(そくぶん)する。
が、私の信ずる処では、そのいずれも敢えて当らない。ー宮については別に言おうー貫一も譲介も、要するに、紅葉先生の性格の顕現である。文壇における大金翅鳥(だいこんじちょう)の分身と言っていい。即ちその両翼の影である。
 豆(ず)の熱海、野(や)の塩原、越(えつ)の赤倉は、皆ともに先生の名文によって世に顕著なる名所と成った。その熱海の海岸、白砂に春月の傷(いた)める時、かれを背きて富山に嫁(ゆ)かんとする恋人を憤って、弱腰をはたと蹴倒したる貫一が、ー(宮が衣(きぬ)のはだけて雪はづかしく露(あらは)せる膝頭はおびただしく血に染みてふるふ)ーを見て、
「や、怪我をしたか。」
蹴殺してもあきたるまじき、罵って所謂淫婦に対してだに、この玉の如き温情は、即ち先生の性格の一部である。

ー「あれ、荒尾さん、まあ、貴方……。」
はや彼は起きてるなり。宮はその前に塞がりて立ながら泣きぬ。
「私はどうしたらよいのでせう。」
「覚悟一つです。」
始ておしふるが如く言放ちて荒尾のかきのけ行かんとするを、彼はなおも縋りて、
「覚悟とは?」
「読んで字の如し。」ー

言棄(いいす)ててかれ去れり矣(い)。義気、背信の婦を秋霜の如く冷殺する荒尾譲介も、又その性情の一部である。然も尚お荒尾にして、篇中の宮とともに読者を泣かしむける温言を聞け。

ー「……僕は婦人として生涯の友にせうと思うた人は後にも先にも、貴方ばかりぢや。いや、それは段々お世話にもなつた、かたじけないと思うた事も幾度か知れん、そのレディーフレンドに何年ぶりかで逢うたのぢやから、僕も実に懐かしう思ひました。」

この春照と秋霜と、モデルは直ちに、紅葉先生に接するがいいーああ世におわさざる今は、その文章に求むればよいのである。
 
 春陽堂の蔵版、紙型が、家財とともに震災の火に一片の烏有に帰した中に、殆ど奇跡的に焼けずに残って、この篇に、口絵に写した原画、清方氏の宮の白百合の面影は、女主人公の殆ど完璧にちかい面影と言ってよかろう。先生が在世の頃、清方氏が進んでこれを描いた時、親しく先生に意中の宮を聞いた時、姿は、お艶(えん)に、顔は、ぽん太(嬌名(きょうめい)世に高かったいずれも当時新橋の声妓。)にあつられたのを覚えて居る。……

ー夜の闇(くら)く静なるに、燈(ともし)の光の独り美しき顔を照したる、限無く艶(えん)なり。松の内とて彼は常より着飾れるに、化粧をさへしたれば、露を帯びたる花の梢に月のうつろへるが如く、背後(うしろ)の壁に映れる黒き影さへ香(にほひ)滴(こぼ)るるやうなり。ー

 それをそのままのモデルとして、一層美化されたものである。

泉鏡花から尾崎紅葉への思い2へ続く

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