泉鏡花から尾崎紅葉への思い3

泉鏡花から尾崎紅葉への思い2の続きとなります。筑摩書房から出版された現代日本文学大系3「尾崎紅葉、内田魯庵、広津柳浪、齋藤緑雨 集」から泉鏡花が尾崎紅葉について解説している「我が尾崎紅葉観」を以下に全文掲載しております。
現代においては読めない、読みにくい文字についてはふりがな及び平仮名、新漢字で表記をしております。紅葉先生と同じく言葉に大変苦心された泉鏡花先生の美文の要素が減ってしまうと、お嘆きになるかもしれませんが、読めなければ意味が無いため予めご了承下さい。先生の手つかずの文を拝読されたい方は、この文学大系3をご購入されることをお勧め致します。

ー「いやしくも一道一芸に執心深く、そこに求むる所が篤ければ、即ち志が堅ければ……だ、微々たる黴菌(バチルレン)如きが、隙(ひま)をうあかがへる理(わけ)のものではないよ。乃公(おれ)の全身は文章でうらうちがしてあるから、吹けば滅(なく)なるやうな黴菌(バチルレン)や、取るにも足らぬ御長屋の井戸端評などは、到底冒すことが出来ないのだ。」ー青葡萄

 横寺町のお家に恐るべき悪疫が門生を襲った中に、一碗の熱茶を喫しつつ、昂然として微々たる黴菌(バチルレン)を睥睨(へいげい)し、颯爽として井戸端評に矜持しすました先生が、しかし、読者に対しては、言う如く謙譲であった。ただし、誰も知る……一時一章といえども、通俗卑近、大衆に迎合するの意向はない。然も謙譲は読者にのみではなかった、出版元の書肆(しょし)に対してもねんごろに深切で、続いて印刷場の活字職員に対しても謙譲であった。字体の整わなのや草稿の乱れたのは文選が迷惑する、と私たちが叱られたのでもよく分ろう。
「泉は居るか。」
書斎で、にばなの熱いのを下すって、
「そこに羊羹がある。……いま丁どここを書いた処だ……一寸読んで聞かせよう。」
 寛(くつろ)いだ座には、ー他所でもーすぐ足袋を脱いだ素足の意気な胡座(あぐら)だった、が、お机の時は端座が多かった。
「前略だよー一歩に一たび裂き、二歩に二たび裂きー(貫一が宮の手紙をだな。)……」
「はい、存じて居ります。」
「木間(こおんま)に入りては裂き、花壇をめぐりては裂き、留まりては裂き、行きては裂き、裂きて裂きてすんずんになしけるを、又引きねぢりては歩み、歩みては引きねぢりしが、はや行くも苦しく、後様(うしろざま)に唯有る冬青(もち)の樹に寄添へり。折から縁に出来(いできた)れる若き女は、(ーお静だー)結立(ゆいたて)の円髷(まるまげ)涼しげに、たすき掛けの惜くも見ゆる真白(ましろ)の濡手(ぬれて)を弾きつつ、座敷を覗き、庭を窺ひ、人見付けたる会釈の笑(えみ)をつと浮かべて、」
                 ………………………
「結立の円髷涼しげにーたすき掛けの惜くも見ゆる真白の濡手を弾きつつーきらきらと雫が見えますようです。ー人見付けたる会釈の笑をつとー御工夫なすったんでございますね。……お静が、そこに、ニッコリとしたのが見えます。」
「そうか、よし、俺も一寸気に入った。」
 目は徹夜不眠の血に鋭く輝いて、そうして口元には優しく莞爾(かんじ)と微笑(ほほえ)まれた。……私は襟を正して言う。今もまのあたりに在(いま)す気がする。

 小栗と、尚お他に、金色夜叉の続篇がある。私は一行も読んで居ない。その読まないのは、却って好意と友情であろうと思う。
肺を病んだ綺麗なお嬢さんが、墓に手向けを、いまわの望みとしたほどな、貫一と宮との仲は、その人たちの続篇ではどう成って居るか、私は素(もと)より知らない。
 ただ、先生に私が聞いたのでは、宮は発狂する、その発作の亢進(こうしん)は、貫一に寄する手紙の、次第にしどろなるとともに著しい。富山は彼の女を棄てる。貫一が胸に抱いて引取るのである。かくして、狂える宮を、俥(くるま)に乗せ、彼は徒歩してやに引添い、病院に送り行く、薄暮、富士見町の台を下りに牛込見附へ出ようとする、土手の松並木の向うから、死せる赤樫の柩に従って、喪服して悄然として俥にも乗らず満枝の来るのと、ふと出逢う。折から、旧見附をななめにつと出ずる、鉄鞭を手にしたる荒尾譲介が立停まるのと、三個相見る処で団円。……としかき腹案でおあんなすったのを承り及んで居る。勿論承ったのは早く唯一度である。大作家の感興が触るる銀線の音には自在の変化がある。その後、意図の、何うお動きに成ったかは、一指、片鱗といえども、われら弟子輩の窺い及ぶべき処ではないのである。

         (昭和二年六月)

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