徳田秋声の作品と人物評伝2

今回は、正宗白鳥氏と広津柳浪の息子である広津和郎の評をメインにまとめてみました。ところで、ゲーム「文豪とアルケミスト」で自分の誕生日に萩原朔太郎が初めての金レア文豪としてやってきてくれて、とても嬉しかったです!地道にだけど大切に育てます。今、全員Lv6にしようとうろうろしております。各文豪は全員開花4まで進めました!

正宗白鳥ってどんな人?

徳田秋声を語る上で、欠かせない存在として正宗白鳥がいます。彼は明治の時代から昭和にかけて活躍した文学評論家であり、ご自身も小説を書いた人でもあります。それ故に、鋭い観察からくる評論をされた方です。昭和10年には、島崎藤村、徳田秋声らと日本ペンクラブを設立したりと徳田秋声の人生とは切っても切り離せない人物の一人です。彼は日本刀の産地である岡山県の備前市出身なせいか、切れ味の鋭い言葉で刺したり刺されたりが多かったようです。

広津和郎ってどんな人?

広津和郎の父である広津柳浪は尾崎紅葉主催の硯友社(けんゆうしゃ)に所属していた小説家です。和郎自身も小説を書きまた正宗白鳥と同じように文芸評論家でもあった人です。彼自身は父である広津柳浪が人気作家でなかったため、10代の頃から翻訳をすることで家計を支えました。モーパッサンの「女の一生」やトルストイの「戦争と平和」などの翻訳は彼の手によって、日本で始めて紹介されることになりました。どちらかと言えば、ご自身の作品より翻訳作品で名前を残した方です。他にも、当時の小説家との交友が多い方でもありました。

以下、『』内の文章は併記してある作品からの引用となります。
また、現代語に翻訳するに当たって旧漢字は新漢字へ。現在の一般的な知識では読めない文字などは平仮名あるいは、読み仮名を表記しておりますこと、予めご了承下さい。

『自然主義の初期には徳田秋声はこの派の作家とは見られていなかった。紅葉の門下では、鏡花風葉秋声春葉の四人が四天王といったような地位にあったが、秋声ははじめから地味でくすんでいたので、風葉や鏡花ほどには注意をひかず、あまり批評に上がらなかった。読売新聞に「雲のゆくへ」(明治三十三年)を掲げて、多少評判がよかったが、その頃の彼は通俗小説の範囲で筆を執っていたのであった。鏡花は特異な作家で、時代の新しい思潮に動かされることろはなかったであろうが、風葉は、新たに起こった自然主義には関心を持っていた。秋声は積極的にこの派の文学に心を寄せていなかった。その仲間にも加わろうともしなかったようだ。しかし、彼の生まれながらの素質が、自然主義に敵していたので、努めずして時代の流れに乗じて、その方面の文学を製作するようになったのであった。明治四十一年に、国民新聞の文藝方面の担当者高浜虚子に勧められて寄稿した「新世帯」には、秋声の小説として面目一新の趣きがあった。』
(正宗白鳥 「自然主義盛衰史」より)

正宗白鳥はハッキリと事実を事実だと書かれる、歯に衣着せない表現をされる人であったことが窺える文章ですね。

『その中に自然主義時代が来た。今度はその自然主義の後からのこのこついて行った。引っ込み思案で、無性者で、神経質で、病弱で、胃病で、始終曇天のような気分で生きていて積極性がなく、物事に対して受動的である氏は、その時非常に勉強したとも思われない。小栗風葉が自然主義への華やかな転向をはかってジャアナリズムの上で勇躍しているのに、氏は地味な作物を書いてぽつりぽつりと歩いて行った。その間に短距離選手国木田独歩の活躍があり、田山花袋の自然主義の闘将的奮闘があり、島崎藤村の長者風の陣ぞなえがあり、正宗白鳥のニヒリズムの突撃があり、文壇はにわかに色めき渡った。その後から主義主張がなく、地味で、正直で、いつの間にかじわりじわりといろいろなものを消化し体得していく感受性をもって、秋声はのこのついて行った。のこのこついていく中にいろいろなものをじっくり九州して行った。そしていつの間にか、そうだ、自然主義の主張者よりも、もっとその本質を身につけてしまった。
 それはほんとうに不思議な消化力だ。恐らく学ぼうという努力の意思なくして吸収紙のように吸収していく感受性ー頭も眼も皮膚さえも、いつでもそういう吸収作用をしているのであろう。「新世帯」あたりから確固とした足取りで始まった彼の作風は、「足跡」「黴」「燗」「あらくれ」に至って、とうとつ日本の自然主義小説の最高峰に達してしまったのだ。……今日自然主義時代を振り返ったら、秋声のこれらの作物は、他の同時代の作家達よりも、最も自然主義研究のために役立つであろう。ー主張する積極的の天才ではなくして受け入れていく天才、秋声氏の天分はそこにあるのである』

(広津和郎 「現代日本文学全集22 徳田秋声集一」より)

広津和郎は、秋声の長い生涯において折に触れて秋声本人に会ったりと色々と交流があったせいか、広津和郎の秋声に対する徳田秋声論は非常に人間愛と優しさに溢れた内容になっています。
最後に、彼が寄せた文章で自分が一番いいな、と思った文を紹介します。

『人間を軽蔑しない秋声の眼は、人間の行動をも軽蔑しない。それが世間道徳的に宣揚される種類のものであっても、あるいは人前に隠したがるようなものであっても、秋声は自分の納得のいくようにしかそれを見ていかない。そこで所謂卑小といわれる行動でも、それが必然なものである限り、作家秋声はそれを無視しないし、それを取り扱う事を恥じらったり躊躇したりもしない。』

(広津和郎 「現代日本文学全集22 徳田秋声集一」より)

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