田山花袋と田舎教師に寄せて

河出書房新社が発行した「日本国民文学全集 第20巻 明治名作集(二)」における田山花袋が書いた田舎教師の作品解説が面白くて、なるほどな~と色々発見があったので、下記に紹介しております。『』内の文章は全て左記の本からの引用となります。

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田舎教師ってどんな作品?

実在の人物の人生を描いたお話しで、小説における名前は林清三ですが、彼のモデルとなった小林秀三と田山花袋は生前面識がありました。ですが、花袋は日露戦争に従軍記者として参加。結局、戦場で病気を患い帰国することなりました。帰国し、立ち寄ったお寺に小林秀三の新しいお墓を発見した花袋は衝撃を受けます。彼が遼陽の落ちた日の翌日肺病で亡くなったと聞き、このことが花袋の胸に深く響きました。本当は、半月ほど差があったのですが、花袋はこのように記憶したそうです。
そして、小林秀三の日記が残っていたことをきっかけに、志を抱いて田舎に埋もれていく青年の心の裡をつかみ。彼が辿った道を歩いたり、勤め先だった学校や親、親友を訪ねて調べ、実に五年の歳月をかけて書かれた作品です。内容は、小林秀三の人生に忠実に、文学に志すも貧しいがために進学できず、小学校の代用教員となり様々な経験をするも結核にかかり21歳の若さでこの世を去るというものです。現在でも埼玉県の健福寺には彼のお墓と、川端康成と片岡鉄兵、横光利一らが「田舎教師遺跡巡礼の旅」として、ゆかりの地を巡った記念に「田舎教師巡礼記念」と題して連名の句を宿の扇に書き記し、それをそのまま碑にしたものが立っています。

『田山花袋(1871-1930)の明治時代の名作として島崎藤村は「生」と「田舎教師」(42年11月刊)をあげたが、この選択はあやまっていない。藤村は前者を榛名の赤城の山々にたとえ、「そこには滴るばかりの生気があり、潤いがあって、しかも物凄くない」といい、後者には、「たとえば利根川の沿岸にひらける上州平野の静息のすがたであろう」といいう比喩的な解説をあたえが、「田舎教師」は又作者の会心の作であった。』

柳田国男が「田山花袋君の作と生き方」において、

 昨晩も旧友達の寄り合いの席で田山君のどの作が一番に、頭に残って居ますかと島崎氏に聞かれたが、私はやはり「重右衛門の最後」と答えざるを得なかった。花袋晩年の作の諸篇の中には、無論あれ以上の深みを持ち、又遙かに痛切に、時代によびかけた作品もあるのであるが、これは自分達の感銘力とも名づくべきものが、既に弱っているのだから致し方が無い。少なくともこの重右衛門の如く、私を驚嘆せしめたものは後にも前にも無かった。花袋を有名ならしめた中期のもっとも油が乗った幾つかの作品に対しては、私は必ずしも雷同しなかったのみならず、むしろ内心の不満を隠すのに骨が折れた。ことに「蒲団」に至っては、末にはその批評をよむのさえいやであった。それを当人もよく知って居て、時々議論をしようとするが、いつでも私が説き方の拙なるを自覚して、旗を巻いて退却するのが落ちであった。
 論客としては中々強ごうなる田山君であったが、同時に自身をも完全に説き伏せる力を有って居た。

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こう書いていますが、どうやら島崎藤村は藤村で田山花袋における代表作は「蒲団」ではなく、「生」と「田舎教師」であった点が興味深いと思いました。田山花袋に近い人間ほど、「蒲団」を推さないのはなんだか不思議ですね。
話しを田舎教師に戻しましょう。花袋自身は、田舎教師については

「『田舎教師』は予にとりて全く他人なり、予は小学校の教師をしたることなし、その材料は多く、日記、伝聞、踏査より成る。従って不安多きだけそれだけ予にとりては新しき試みなり」

と日記に書き記しています。
そして、この解説では面白いことに田山花袋の実体験における描写がこの作中にあるが、それはここだ!間違いないと記述してある点が非常に興味深いです。

『「田舎教師」は個人の日記により、それを極度に利用したことは間違いないが、しかし全然フィクションがなかったわけではない。たとえば主人公を中田の遊郭に遊ばせるくだりは、実は日記の主人公の行為ではなく、作者たる花袋の体験であった。また美しいラヴに憧れながら、ラヴのない性欲のかわきを遊女にみたす経路や、女心をつかみかねて苦しむあたりは、花袋自身の上のことと見てよい。
  花袋はこの試みに満足した。彼は「一青年の志を描き出したことは、私にとって愉快であった。『生』で描いた母親の肖像よりも、つきすぎていない故か、一層愉快であった。私は人間の魂を取り扱ったような気がした。一青年の魂を墓の下から呼び起こして来たような気がした」(東京の三十年)とものべている。感傷的、主観的な抒情、単調で平板な筆致、生活の中にとり入れられる自然、そらの花袋特有の性癖はこの場合題材とよくマッチしている。』

正宗白鳥も面白いけれど、この解説を書かれた方は吉田精一なる国文学者の方なんですが。とても情熱的でありながら、正宗白鳥とはまた違った鋭さで本を解く…というよりは、捌くといった解説で。読んでいてとても面白いんです。もし、皆さんも手にとる機会がありましたら、読んでみてはいかがでしょうか?
もちろん、全ての解説がこういった内容では無く、もっと真面目にきちんと考察された記述が主です。それでも、全編を通じて精神的にハイな文章なせいか、愉快に感じてしまう。この時代の文豪や文学者は楽しい方が多くて、解説まで読む喜びが本当にある点が本当にいいですね。

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