正宗白鳥が語る田山花袋2

正宗白鳥が語る田山花袋1の続きになります。筑摩書房様が出版された「現代日本文学全集21 田山花袋集(二)」より正宗白鳥の田山花袋論の現代語訳を以下に全文記載します。かなり長いので、お暇な時にお読みいただければと思います。ところで、ゲーム「文豪とアルケミスト」で遊んでいるのですが、当図書館にはまだ泉鏡花がいません。恐らく、今年中にはきっと来てくれるんだと思います。そうしたら、本当に向かい干支がウサギの泉鏡花が誕生するんだなと、今から楽しみです。

「百夜」は、島田と名づけられた主人公とともに、悲喜哀歓を続けて来た芸者お銀が、鏡に映るおのが姿に老いの影の差して来たのを感じ、男の気休めの言葉なんか耳にもかけず、「自分が何だかちょっとも知らずに、ただそういうものだから、そうして通って来たと云うより外何もなしに盲目でやって来たようなものですもの」と、おのが一生を回顧するところからはじまっている。彼女は震災で無一物になったのを男に助けられて、郊外に借家をして、両親と微かな暮らしを立てている。島田はそこへ通っている。彼島田は、震災の三日目に女の身の上が案じられて、火のまだ燃えている中を、やっとのことで、大川の橋杭の上を伝って危険を冒して女の行方を捜し、十時間も川水に浸かっていたにも拘らず、どうにか命だけは助かって、浴衣がけで震えていた彼女を見つけて、互いに涙の対面をしたのであって、二人の仲は並大抵の仲ではなかった。
そういう関係の女の所へ人目を避けて通って行く男の幸福は、昔から詩に唄われ、絵に描かれ、中本仕立ての小説に述べられて、私などもその境地を想像しては羨望するのであるが、島田対お銀の実際は、「椿姫」や「マノンレスコ」や、春水や鏡花の小説にあるような場景の現実化ではなかった。持って生まれた美貌もシミや皺に腐蝕されだした女と、白髪の老翁との情事であるから絵に描いてもあまり美しくはない。序を追うて起こる島田老人の感想には、真実の経験から生み出されたものであって、真実によって裏打ちされた恋愛哲学、人生哲学と云ったようなものが現わされている。
田山氏は、素質が乏しかったためか、事故の経験自己の夢想を渾然たる芸術として表現し得なかったが、誠実と根気と体力とによって、自己の感得したものを、兎に角文字を通じて現わすことを得た。「かれも自分達の恋愛の総決算がいつかは一度必ずやって来ることを思わずにはいられなかった。敢えて古い歴史を持ち出すまでもない。今現にそこにもここにもそうした恋の址(あと)がある。……何なにしっかり、心と心とを合せていたとて、その址(あと)になる時はきっと来る。《そうして見ると、恋というものは火花を散らす時だけのものか。その時だけを尊重して、あとは金屑として捨てて去るべきものか。……執着ならまだ好いけれども、それを通り越して、ひとつの習慣というものになりつつあるのではないか》」と反省したり、「彼は平生、金は単に金だとは思ってはいなかった。金はすなわち心だ。男が女に対してその心をあらわす唯一のものだ」と痛感したり、ついに「恋と死」というところまで達している。大抵は中途半端な所で留まっているからいいようなものの、恋愛も徹底すると、「死」と結びつかなければならないのであろう。
その究極の境地を、田山氏は、最後の長篇「百夜」に於いて、いろいろに手を尽くして描こうとした。描写の筆は硬張(こわば)って自在に動き得なかったが、恋の究極を表現しようとしたのは事実だ。「若い時には、この恋と死とが割然(かつぜん)と二つにわかれていた。恋は恋、死は死という風に考えられていたの。それが中年になればなるほど、次第にその離れていたものが近寄って来て、今ではその二つの問題がぴたりとひとつになって、かれの前に現れた。」「……十年前にあっては、死はまだ一つの空想であり、ひとつの幻影であり、またひとつの思想であったけれども、今ではもはやそう間接なものではあり得なくなった」と云っているのは、愚かな情痴の現れてとして蔑視すべきものではないかも知れない。完全に相手を所有するためには、「恋愛を墓場の向こうまで持っていかなければならない」田山氏の自然主義的恋愛も、ついに中世紀風の宗教味を帯びて来ていたのに、私は興味を覚えた。「二にして一、一にして二」は氏がいろいろな場合に云っている生存のモットーである。女の魂を完全に掴むことの困難を氏は屡々(しばしば)嘆息しているが、氏の人生生存の第一義的意義は、女人の魂の完全なる確保に在るので、ダンテやゲーテの「永遠なる女性」も要するにそれなのである。

正宗白鳥が語る田山花袋3へ続く

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