正宗白鳥が語る田山花袋7

正宗白鳥が語る田山花袋6からの続きになります。筑摩書房様が出版された「現代日本文学全集21 田山花袋集(二)」より正宗白鳥の田山花袋論の現代語訳を以下に全文記載します。長かった正宗白鳥の語りも今回で最後となります。ここまでお付き合い下さった方々、本当にありがとうございました! 彼のこの文章を読むと、自然主義の有り様や当時の文壇がよく見えてくる点など、色々と発見があったのではないかと思います。

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田山氏は、傑(すぐ)れた小説は、作者の手を離れて空間に存在するものであると云っていたが、氏の実録小説は、まだ作者の手を離れきってはいないのである。「木切れ一つなく裸体のままで浴室で殺された源義朝の悲痛な生涯」に、田山氏は自己を発見して、一篇の歴史小説を創作したのであったが、それは、島崎氏の「夜明け前」に比べると、遙かに主観的であり、独断的である。しかし、作者の心境はよく分かる。この「源頼朝」出版記念会が田端で開かれた時に、作者が、「僕が文壇的に衰えたために、諸君が同情してこの会を開いてくれた」と、感傷的に云ったことを私は記憶に刻んでいるが、文壇、家庭、恋愛などで悲痛な思いに迫られている作者の心が、「源頼朝」に現れているのが、我々の心を惹くのである。三篇の長篇も、その気持ちを畳みかけ畳みかけ出したものに外ならない。そして、田山花袋一生の文学は、要するに人間に希望を与えるものではなかった。
 この頃、一部の若き文学者が明治時代の自然主義の研究を試み、ゾラのリアリズムの研究にも及んでいるらしく、かつて読売新聞に、阿部知二氏は「自然主義の運動全体が今までの文学の流れのうちで、最もすぐれたものではなかったか。あそこには観念的な服装としてではなく、真に人生に対した意味での思想があった。同時にもっとも歪曲されないところの芸術の熱があった」と云っている。これは間違った観察ではないようだが、私などが、田山氏の遺稿を読みながら回顧すると、当時の新しい作家の意気込みは盛んであり、態度もよかったとしても、素質の傑(すぐ)れた作家、力に富んだ作家がなかったためか、いつまで経っても光の失せないような作品は現れなかったように思われる。
 だが、この頃のいろいろな方面の新しい作家の小説が、どれも読み応えがしないとすると、過去に遡(さかのぼ)り、自然派の文学でも新たに研究して見ようかと考え出すのも当然のことかも知れない。花袋・泡鳴・秋声・藤村の四氏を比較研究すると、日本特有の自然主義の妙所も弱点も明瞭になり、将来の文学に対して何かの参考にはなるだろう。これ等四氏は自然主義の代表的作家であるが、各々面目を異にしているので、今の青年批評家なんかが概括的に見ているのは間違いなのだ。花袋・藤村の相違は、藤村と漱石との相違よりも甚だしいと云っていい。
 だが、今の私は過去の自然主義文学には飽き果てている。少なくとも私自身の初期の小説なんかは消えて無くなれと思っている。
                                                    (昭和七年六月)

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