正宗白鳥による谷崎潤一郞と佐藤春夫人物評伝2

正宗白鳥による谷崎潤一郞と佐藤春夫人物評伝1の続きです。中央公論社から出版された正宗白鳥の「文壇人物評論」から「谷崎潤一郞と佐藤春夫」の現代語訳を以下に全文掲載しております。手前勝手な現代語訳であるため、正確性に欠ける点があるかもしれません。その点につきましては、ご了承ください。また、正宗白鳥のこの本における章タイトルは間違いなく「谷崎潤一郎と佐藤春夫」なのですが蓋を開けてみたら、「佐藤春夫と谷崎潤一郎」の順番で綴られているためまずは、佐藤春夫パートを途中までお楽しみ下さい。

「都会の憂鬱」は「田園の憂鬱」以上に面白い。文学志望の青年がまだ志を遂げざる間のさまざまな悩みを書いた小説は多い。名を成した後に無名時代不遇時代を回顧して一篇の小説に作り上げるのは、作家として快心の事で、そこは、筆の立つ有り難さで、政治家や実業家や軍人や俳優などの過去の追憶談、立身の物語とは違って、自由に、思う存分に自己を発揮し得られるのである。しかし、百人の文学志望者のうち、こういう快心な題材を取り扱い得られる幸運児は、一人か二人であるかないかと云っていいくらいで、大抵は、父母兄弟知人に侮蔑され、貧乏に苦しめられ、自己の才能の有無についての疑惑に悩まされたきりで、局面転換の幸福は味わう由もない者が多い。「都会の憂鬱」は、憂鬱な青年期を脱した後に書かれているものらしいが、波岡のある種の文壇成功者の回顧小説に見られるように、「幸福の地位に立って不遇なりし昔を思い出すほど喜ばしきことはなし」と云った特異な調子はみられない。青年期の憂鬱がそのままに現れされている。しかし、自然主義時代の憂鬱小説のように薄汚くはない。プロ派の描く貧乏小説のように理屈っぽくも薄汚くもない。芸術味横溢して、ユーモラスで、憂鬱のうちに一抹ののどかさがある。この小説の中に、女優である妻君が、「女というものは、時にははっきりと命令をして貰いたいものなのです」と、夫に要求しているが、それが「武蔵野少女」の少女お徳が、自分の身の処置に迷う時に、兄に要求する言葉になっている。かの新劇女優が、「何かの台詞にでもあるのを応用したらしい」その言葉が、少女お徳の心の動揺を作者が描出するに当たって役に立っているのである。この新長篇中の犬や猫の描写も、「憂鬱篇」中の小動物愛撫の延長で、一匹の子猫を作中に取り入れたことが、田舎家の生活描写を余程豊かにさせているのによっても、作家たるものは日常の自己の経験や雑多な知識をおろそかにしてはならないことが察せられる。伏見の爺さんが子猫の餌食にするために寒鮒釣りに出かけて道に迷って、知らない男から魚を貰って帰る話しなんか、こういう挿話には、外の長篇作家に見られない佐藤君独特の妙味がある。「春風馬堤曲譜」の描かれる所以である。
 作中の重要な人物である藤木は、都会の憂鬱を感じている男であるが、それが、著作「憂鬱篇」の主人公やそのお仲間の江森渚山などと同類の人物らしく、失敗亜した事業家としての面目が現れていない。植民地浪人の如きはどれも描き足りない。なかなか細かに書かれているのだが、印象が手薄である。どの男も女も精々お人よしに過ぎるように受け取られた。藤木夫妻にしても、夫の方からいうと、妻が夫に対して無理解であり、人生に対して不徹底ということ。妻の方からいうと、夫が我儘で得手勝手ということ。つまり、あらゆる夫婦喧嘩の言い分の公式見たようなことを根拠として衝突するのだが、二人の衝突が、日常の烈しい生活苦に責められていながら、真剣のように思われない。二人の実子を里子に出したり、先夫の子を背負ったりしている藤木夫婦の間には、もっと息苦しい葛藤がありそうに思われるのに、そういう所は省略されている。この夫婦もお人よしに過ぎるように受け取れた。だが、こういう風にのんびりしているところに、この作者の小説価値が認められないこともない。
 私は永井荷風里見諸氏の作品に親しんでいるほどには佐藤君の作品に親しんでいない。そう沢山は読んでいないのだ。それで、私の読まないものにどういう傑作があるか知らないが、今度偶然最近作の「武蔵野少女」を通読し、併せて、旧作田園と都会の憂鬱を復読して、この作者も永井谷崎氏等も同様、生まれながらの芸術家であると感心するとともに、この作者はどうして、こう浮世を甘く見るのだろうと、多少以外に感じた。作者は、自己の趣味に照らして、田舎人の醜陋(しゅうろう)に眉をひそめている。いろいろな人間の奸策や邪念をも見逃してはいない。だが、それ等は上っ面のことで、水に流れる塵芥や飛沫みたいなものだといったような態度で取り扱って、常識的な見方で安んじているように思われる。人生の底を流れる滔々たる濁流に目を注ごうともしないように思われる。明治以来の日本文学はどの方面でもお手軽であって、ロマンチストの夢も浅いのだが、佐藤君の作品にしても、浅いというのが語弊があるとすると淡いのだ。日本では伝統的に淡いもの小さなものに愛着を寄せる傾向があるのだが、明治文壇のロマンチストの代表者高山樗牛(たかやまちょぎゅう)でさえ、天下凡そ物の小さきを好むこと、我が国民の如きは無かるべし。彫刻は根付にあらざれば置物なり。画幅は扁額に非ざれば掛物なり、八州の山河を前にして人は盆栽に苦心す。文壇に歓迎せらるるものは、十七字の俳句にあらざらざれば、百行以内の短篇小説…」と概歎している。形の大小はどちらでもいいと私は思うが、小にして浅くては物足りない。私はロマンチストたるバイロンの烈しさを好む。人間に対する憎悪から、神の掟に対する疑惑と反抗の烈しさにまで達しているのを好む。熱血とか血涙とかいうと、維新の豪傑の持ち物のように思われるが、バイロンのように芸術と抱和した血涙は我々の心をも動かす魅力を有っているのである。
 佐藤君は、ある作品の抜文に於いて、「作者はだんだん年とともに、ロマン的色彩を失いつつある。」と云って、その埋め合わせに、「何ものかが別に加わるかも知れぬ」と期待している。「何ものか」とは、現実的知識か何かであろうが、私などは、「武蔵野少女」が生半可な写実的なものにならないで、ロマン的色彩の濃厚なものになっていたら、もっと面白かったであろうと思っている。時世の止むを得ざるところであるが、日本では詩人にして小説家に転じるものが少なくなかった。英国のハーディは、文学に志した初めには詩を作っていたのだが、当時の英国文壇は小説の全盛期で、詩を売ったのでは豊かな生活ができそうになかったので、詩を止めて小説を作ることにした。そして小説作家として大成した晩年に、年少時代の志を継いで作詩を楽しむようになった。日本でも詩人としては生活費が得難く、また小説家ほどに世間的名声が得難かったために転業者があったのである。日本の読者が詩を好まないのではない。古来和歌や俳諧の流布していた我国の読者は他国人よりも一層詩を好んでいる筈なのだ。それで、小説にしても詩を取り入れたもの、詩の味わいを加味したものが喜ばれるので、詩人的素質を有った小説作家の作品が、却って小説的素質を有った小説作家の作品よりも、多数に迎えられたりするのである。佐藤君の如きは、豊かな詩人的素質を有った作家であるから、その素質を大切にして、縦横に自己の特色を発揮すべきである。
 私などでも、「さんま」の唄や「殉情詩集」の詩の或ものを愛誦している。嘗て瀧田樗陰(たきたちょいん)君が私に向かって、「佐藤春夫という人は、小説を書きながら涙をぼろぼろ落としていますよ」と、今見て来たことを感動して話したことがあった。欠伸しながら笛を執った経験にのみ富んでいる私には、こういう作家の気持ちは分からなかったが、笑い事とは思えなかった。畔柳芥舟(くろやなぎかいしゅう)氏の話しとして、誰かから間接に聞いたと記憶しているが、「高山樗牛が田山花袋という男とは不思議な男だと云っていたよ。一緒に箱根か何処かへ遊びに行った時に、花袋は山の眺めの美しさに、感激して涙を流したそうだ」という意味の話であった。
 これ等二つの逸話を今思い出して、私は二つとも面白いと思っている。花袋氏も、本当は、平面描写とか現実暴露とかに捉われず、ゴンクールやフローベルなどの冷徹主義の作家にかぶれず、持ち前の詩人的素質を発揮して小説道に進んで行った方が、却って自己の大を成すためによかったのではないかったかと疑われる。

醜陋(しゅうろう)・・・醜く卑しいこと。
畔柳芥舟(くろやなぎかいしゅう)・・・明治から大正にかけて活躍した日本の英語学者。
瀧田樗陰(たきたちょいん)・・・中央公論の編集者。多くの新人作家を発掘したが気性が激しく敵も多かった人物。

正宗白鳥による谷崎潤一郞と佐藤春夫人物評伝3へ続く

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