正宗白鳥の菊池寛論4

正宗白鳥の菊池寛論3 の続きとなります。中央公論社から出版された正宗白鳥の「文壇人物評論」から「菊池寛論」の現代語訳を以下に全文掲載しております。手前勝手な現代語訳であるため、正確性に欠ける点があるかもしれません。その点につきましては、ご了承ください。正宗白鳥の菊池寛論も今回で最後になります。おつき合い下さった皆様方、ありがとうございました!

 しかし、現代の才人である菊池君の筆は、さすがに他の多くの作家のごとく鈍味でない。「新珠」のうちにも、清新な形容語や清新な警句がところどころに目に触れるのである。
 「真珠夫人」は熟読していないから、充分な批評はできないが、この妖婦ぶりはひどく表面的のように感じられた。妖婦と云えば、有島君の「或女」は圧力の強い作品である。私は、去年軽井沢でこの長篇を読みふけって感歎(かんたん)した。かくてこそ長篇の長篇たる価値があるのである。
 昔、国木田独歩が「破戒」を読んで、「おれならこんなものは、三四十枚で書く」と傲語(ごうご)した。これは例の空気焔(くうきえん)であったが、小説でも何でも、短くって済むものなら短いのに越したことはないのである。そこには議論の余地のない訳である。…(私が「新珠」を読んで、「おれならこんなものは、三四十枚のうちに書き込んで見せる」とうぬぼれているかのごとく邪推するなかれ、私は、はじめから「新珠」のようなものは書けないと降参している)
 何年か前、武林無想庵(たけばやしむそうあん)君が、最初の洋行から帰って来て二の宮に仮住まいしていた時分、一日私を訪ねて来て、欧州の状況を話してくれたが、彼はフランスの現文壇の風潮は、性欲極端な描写とコンミニズムの信者気取りの雑文を書き散らしていた。ところが、再度の洋行によって現実の刺激を実感してからは、態度が一変して、西洋のまねごとでない自己の真実を吐露しなければならなくなった。人間は聞きかじりの思想や流行の主義から脱却した時に、自己の持っている人間本来の姿が力づよくあらわれるのである。

 今「婦女界」三月号を開けてみると、菊池君は、その恋愛観のうちに、「人生恋すれば憂患多し恋せざるもまた憂患多し」と、それを痛切に感じているらしく書いている。どちらに転んだって憂患の多い人生である。それならば、恋愛に向かってでも戦闘に向かっても、その渦中に投じて歓喜でも憂患でも、心にふりかかって来るものを味わうのが、男子の面目であるかも知れない。現日本の文学者のうちでは菊池君などに最も多くその意味がありそうである。かなりの戦闘性を有し、享楽欲に富み、親分肌もあり、楽天的分子もかなりに持っている。先日選挙の際、第一回の政見る発表演説の終わったあと、銀座のカフェ「エスキモー」で、私は菊池山本両氏と座をまじえて紅茶を飲んだが、その時、山本有三君が傍らからくよくよ気をつかって選挙の結果を悲観しているのに引かえ、菊池君は悠然として安じていた。これぽっちの度胸でも今の文壇人には珍しい。
 代議士には落選しても、これだけの世界的声望を背負っている菊池君には、何か目醒ましいことがやれそうである。またやるのは今のうちだ。世俗の声望は朝夕を計られず、……
 菊池君は、今日とで上田博士の指導を受けた人であるに関わらず、最初から純芸術の道を進むような素質は持っていなかった。ショウの感化を受けたと、自ら云っているように俗界に関心しないでいられないのである。それが、過去十年、菊池君が世に出て以来の時世に適応していた。こういう世間的興味を多く持った文人が勢いを得るような時代になっていたのだ。も少し早かったなら、菊池君なども、他の多くの赤門出身文士のように、数年にして文筆を投じて学校の先生になったかも知れなかった。も少し遅かったから、菊池君は初めから社会運動でもやるかも知れない。氏は運よくこの十年の時代の調子に乗ったがために、自己の文学的天分を過分に輝かすことが出来た。

余論

以上の雑感を書き終わったあとで、余暇があったので、新潮社発行の「現代小説全集」中の「菊池寛集」を取り出して、ところどころ読んだ。一度読んだことのあるものばかりであるが、氏の作品は頭を疲れさせないでスラスラと読める。現代にもてはやされた原因は、こういう特徴があるためであろう。少なくも、「新珠」や「受難率」を読む時のような退屈を、私は感じないでいられた。「無名作家の日記」「葬式に行かぬ訳」「友と友との間」など、文壇へ出るまでの苦心が如実に書かれているので面白い。そして、こういう初期の物には作者の人のよさがよく現れている。こういう作品にありがちないやみがない。
 無論これ等の作品は、芸術としてそうすぐれたものではないが、兎に角、事実の記録であるから見飽がしないのである。「芸術品には非常に高い要求をしているから、そこいら中にある小説は、この要求をみたすに足りない」と、森?外が云っている通り、単なる自己の日常生活の記録たるに留まっている小説は、遙かに読むに値している。私は、この頃ある社の依頼により、懸賞募集小説の選抜をしているが、実際の記録らしい小説は、いかに小説が幼稚であっても、世の中にはこういうことがあるのかと、世相について一つ学んだ感じがされるのであるが、幼稚な頭で文章や趣向ばかり凝ったつもりの、いわゆる「創作」なるものは、読むには堪えないのである。書く方も読む方も時間潰しで、こういう創作は全く無用な存在のように思われる。…私は投書を読んで、今更のようにそう感じているが、菊池君のごとき現代最大の流行作家の作品を読んでさえ、そういう感じのしないことはない。
 故上田敏(うえだびん)氏のことが、菊池君の初期の作品にはしばしば現れているが、「友と友との間」のある一節に、「あの人はほんとうに偉かったでしょうかね」との質問に対して、松木さん(夏目漱石氏)はしばらく考えてから、
「そうだね。博く知っていた事は、確かに博く知っていたね。その博く渉っているある部分を押して行くと、それがどれ位深いかは、一寸問題だがね」と云っている。
 漱石氏の評語ほどあって、上田氏を評して要を得ている。間口の広い人が奥行きの浅いのは当然である。上田氏は学問の深い人ではなかったであろう。しかし今私はこの一節を読みながら、ふと考えた。…漱石氏は敏氏よりも、芸術についてどれほど深く入っていたのであろうか。ある特殊の人物や時代について一生を捧げるくらいに深く研究することは専門的学者の態度であろうが自己の心で芸術を味得するのを最高の目的とするためには、一所に停滞し、部分的に拘泥する必要はないのである。上田氏だって西欧の詩歌の鑑賞に於いては、夏目氏に負けなかったであろう。
 西洋の氏の味わいは、言語の関係から、日本人には分からないと、芥川君なども云っているが、しかし、分かる分からないは程度問題である。私などは西洋の詩を愛読している。日本の和歌や俳句にも勝った興味を感じることもある。私はそれでいいと思っている。私は、教壇に立って外国の詩を講じようとする自信はない。しかし、一知半解にしろ、自分だけで興味を感じ、自分の心の糧としているのは差し支えないと思っている。はじめから分からないときめて、強いて外国の詩に目をつぶる必要はないと思っている。
 短くてとっつき易きためでもあるが、私は、この頃は、外国のいろいろな詩人のものをあれやこれやと読みかじって寂寥たる心境の慰めとしているので、こういうことに言及した。
(昭和三年三月)

傲語(ごうご)・・・人を見下したような、たっぷりとした自信のある言い方。
武林無想庵(たけばやしむそうあん)・・・小説家であり翻訳家。柳田国男の竜土会にも参加していた。
コンミニズム文学・・・現代のコミュニズム文学。共産主義の思想に基づいた文学のこと。文壇の総てのものはマルキストにならなければいけないという思想を持った文学だと横光利一は新感覚派とコンミニズム文学において書いている。
マルキスト・・・現在のマルクス主義の信奉者、マルクス主義者のことを指す。
マルクス主義・・・マルクスとエンゲルスにより確立された思想の体系。唯物論に立脚し人類は生産力と生産関係の矛盾を抱えたまま発展し、資本主義も私的所有と社会的生産の矛盾から社会主義へ移行せざるをえないとする思想。別名、マルキシズム。
上田敏(うえだびん)・・・明治から大正にかけて活躍した文学者、評論家であり翻訳家。「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」ポール・ヴェルレーヌ著『落葉』などの訳詞で有名。

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