寺田透が葉山嘉樹と横光利一を語る2

寺田透が葉山嘉樹と横光利一を語る1の続きとなります。筑摩書房が出版した「現代日本文学全集67 葉山嘉樹 小林多喜二 中野重治 集」において寺田透は「葉山嘉樹一面」という解説を寄せていますが、内容的に葉山嘉樹と横光利一との当時の文壇上における比較や対向について言及がなされています。
ここでは、『』内の文章は全て上記の解説から引用し現代語訳をした上でまとめて紹介しております。

『横光は、《新感覚派》の理論家として、葉山嘉樹の短篇「淫売婦」の肉を形作っている感覚活動に深い推服の念を示している。周知の通り、新感覚派の文学運動は、あらゆる人間の心理と行為を、一つの政治思想によって暴露、批判、指導し得ると信じたコミュニスト達の文学理論に対して、芸術派が張った背水の陣の名であった。』

横光利一は、昭和5年(1930年年)頃から文士や文学者の気風が大きく変わり、勃興してきた大衆文学にどう対処するか真剣に考え「純粋小説論」などを発表したりしました。彼の「純粋小説論」は論理のまずさを含んだ内容でしたが、大衆文学に立ち向かいそれを一身受けていました。
寺田透もそのことについて言及しています。

『横光がそれに加えた説明は彼本来の晦渋(かいじゅう)で、空疎な冗語に満ちていて、今日でも僕らを昏迷させるが、要は、自然主義の情緒的写実にも陥らず、マルキシズムの思想的図式化にも陥らず、現実表象の多彩さを作品に盛るために、理智によって按配された感覚を、表現の主要手段にしようとするところにあったと言えるだろう。』

晦渋(かいじゅう)・・・文章や言葉が難しく意味がわかりにくいこと。

『アントロポロジーという言葉を採用することをやがて思いつくまで、この流派は、自分らの志すところが、思想による人間性の歪曲と静観的態度によるその無力化に対する反抗だということを充分自覚せずにいたようである。』

アントロポロジー・・・アントロポロギーのこと。アントロポロジーはフランス語。アンドロポロギーはドイツ語で両方とも人類学を指します。生物としての人を扱う形質人類学と、人が築き上げてきた文化を課題とする文化人類学とに二分される。

『葉山嘉樹の文学を今日なお僕がなつかしむとすれば、その理由の一つは、彼が形式についても内容についても、至って無邪気だったところにある。そしてその結果は、前にも言ったように、彼を石川啄木とともに、ぼくの反逆と漂泊の心情の師としたのである。』

石川啄木は、明治の末期に国家権力の問題を文学の問題として取り上げ、自然主義文学が権力問題を回避していることを鋭く主張しましたが、石川自身はそれらの問題を作品に表明する前に亡くなりました。ですが、プロレタリア文学は、この石川啄木の思想を受け継ぎ、この問題に取り組んだ文学一派なのです。

『しかしそれだけだったら、彼も僕の少年の日の動悸をたかめ、筋肉を収縮させて行きすぎたただの黒い形というにとどまったであろう。ところが、彼が信州の山村に土着してからの作品は、僕に飾り気ない幸福の色合いを見させたばかりか、幸福に特有の力で僕の思考力を刺激するに至った。~中略~ただ彼の心が、百姓の生活につねにとりまかれ、すべての考慮が、山村の自然と人間を四六時中映してやまないというだけである。彼の描き出すものは、彼の魂の状態ばかりで、その明るい書布の中に、百姓の姿は、淡彩された木炭画の点景のように出没しているにとどまる。』

葉山嘉樹が長野県に寓居したのは、昭和10年(1935年)で彼が41歳の時です。寺田透は、この時、20歳。昭和12年に日中戦争が始まるまでの四年間の間に葉山嘉樹は東京での生活を精算し、長野へと移ります。横光利一は、同じく昭和10年に「純粋小説論」を発表しています。横光はこの時、37歳でした。

『《わしは人並より良い人間になろう、としていたからいけなかったんだ。人並に良く、人並に悪けりゃそれでいいんだ。》
 《わたしはこの、気が楽になったちうことが、しあわせだと思うんだ。違うかね。》

 彼(葉山嘉樹)の言葉づかいも又、百姓のそれによく似ている。ものの色や形をとり立てて描き出そうとする配慮はなく、ただものをそれと言い当てる言葉ばかりが好んで取り上げられるのだ。何かここで尾根の日の色や雨に腐った稲田の色や鮎を釣る渓谷の淀の水色が見えるように思われるとすれば、それは即物的な言葉の持つ喚起力のおかげであって、文字による写真術のせいではない。それらの言葉は見させようと望むかわりに、想起させ、感取させようとする意図に基づいて用いられている。そしてそれがいわばわれわれの普遍的な潜在記憶を刺激するのだ。
 これはかつての新感覚派横光が、ちょうど同じ頃、その純粋小説の構成に当たって試みたことと正反対である。横光は文字によって絵をかいた。その絵が美しく描かれれば描かれるほど、描かれるべき実体と文字の与える現象の隔たりは広くなり、それにつれて作品の真実感は薄らぐという不幸に見舞われる。』

寺田透が葉山嘉樹と横光利一を語る3へ続く

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