伊藤整が横光利一について解説する6

伊藤整が横光利一について解説する5の続きとなります。以下、筑摩書房が出版した「現代日本文学全集65 横光利一集」から『』内の文章は左記の本から引用した上、手前勝手な現代語訳をしたものになります。旧漢字は全て新漢字にて掲載しておりますこと、ご了承ください。横光利一の研究の一助になれば幸いです。長かった伊藤整による横光利一の解説も今回で最後になります。おつき合い下さった皆様、ありがとうございました!

『横光がこの作品を書いていた頃、谷崎潤一郎は「卍」を書いて性の人間支配という、大正初期から彼が持ち続けていた主題に決定的な形を与えた。またマルクス主義による作家たちは、その敵手であった横光に出現したこの現実認識の弁証法的方法に対して関心を持たなかった。
 ただ戦後になって佐々木基一が「機械」の方法の重大性を敢えて論じているのは注目に値する。
 しかし佐々木基一もまた昭和初年からのマルクシズム文学の最大の敵であった横光の方法に対して、弁証法的という判定を下すにはためらったようである。横光の作品では資本主義の構造が大がかりに扱われたのは「上海」であって、「機械」での弁証法的考え方はもっと狭い舞台で、図式的に設定されたものであったため、その特質が目立たなかったのである。そして昭和前半においてマルクス主義系の作家たちが取った小節方法は、人格中心の旧道徳の形の中に、無理にはめ込んだ社会正義観という自然主義的手法を闘争の感動によって高めたものであった。ただ横光と同じ頃に小説を発表していた葉山嘉樹の方法の中には、新しい発展が期待されたのであるが、それは環境の不利の中で実現されなかった。
 「機械」を書いた昭和五年の末に横光は長編小説「寝園」を「大阪毎日」と「東京日日」に書いた。この作品には「機械」と同じ問題が更に拡大化されて扱われているが、この全集には、この作品についての川端康成のすぐれた文章があるので私の解説は省略する。
 この時期に彼が感じた人間存在の相対的不安定性は、その文壇生活、ジャーナリズム等の関係から関知されたものにちがいあないと私は推定している。その事は同期の川端康成にも違った形で認識されていたもののようであって、その事を私は前に、次のように書いたことがある。
 「『禽獣』(きんじゅう)(川端の作品)と『機械』とは、文壇が文学者のサロン化したことを意識した時の反映である。(中略)その場所での力の構造は『機械』におけるように、一種の唐草模様、外に生命をゆだねる生活者、柔道風な他力使用者、自己放棄の姿勢による功利性の把握等である。また『禽獣』の冷酷な透視、優秀者のやむを得ざる孤独、自然感情に反する適者生存の認識等によって作られている。フィクションはこの二作の形で、逃げ出せない生存の場、文壇なる歪んだサロンが描かれたとき、日本で形成されかかった。外の社会と無関係に。」(「小説の方法」)
 昭和九年横光利一は「紋章」を「改造」に連載した。「紋章」は具体的なモデルのある作品である。その手法は「寝園」の引きつぎでありながら、一種の行きつまりがこの頃から起こった。彼の方法に矛盾と変化が起こった。それは彼がこの頃発表した「純粋小説論」と関係があるようである。その「純粋小説論」にはこの頃に出たジッドの「偽金つくり」の翻訳が影響した。「贋金つくり」の中にエドワールという小説家の純粋小説論が描かれている。しかし横光の考えはこのエドワールの考えよりもジッド自身が初めて書いたロマンと自ら呼んだ「贋金つくり」そのものの構造にある意識的なメロドラマ性に暗示を受けたもののようである。それは偶然というファクターを現実の中で重視する、という考え方であった、そして横光は偶然という因子の設定によって芸術小説と大衆小説とを貫く小説の本質を把握できた、と考えたのである。流行作家として新聞や婦人雑誌に小説を書かねばならなくなった彼の立場の無理が彼をこの理論の中へ追いつめて行ったようである。この事は、彼がそれまで築いて来た現実認識法に対して破滅的な打撃となったように私には思われる。
 あるいくつかの力のバランスによって保たれている現実の中に、外部から入って来る力を、彼は偶然性によって特徴づけた。偶然の因子が常に現実を変革する。しかし、社会構造の中にはめ込まれた人間を動かす新因子は、やっぱり必然という性格によって補えた方が正しいようである。この横光における、偶然性ー即ち純粋小説ー即ち芸術小説の融和という考え方は、再び彼を初期の新感覚派的飛躍構造に駆り立てたのである。今度はその飛躍構造は、文体の上で働かずに、彼の思考の中に偶然という神秘的な因子を産み出すことになった。そしてここに一種の神がかり的状態の承認が生まれて、それが彼を昭和十年頃から後、戦時気分の漂って来た日本で民族主義と結びつけるようにさせて行ったのである。
 昭和十一年にヨーロッパ旅行をしたことは、彼の中に強い民族意識を目覚ませ前記の思想を更に発展させた。昭和十二年彼は生涯の大作「旅愁」を書き出した。この作品においては「機械」を書いていた頃の彼と別個のものが出て来て、日本の再認識、民族の美的論理的な新発見において人間性を見て行こうとしている。その点は色々な評家の批判のあるところであるが、彼には初期からあ一貫して、人間性の崩壊意識に耐えようとする意志的な論理観があったので、それがこの作品に一脈清冽なる感銘を与えることになった。この作品はその思想の特殊性を帯びながらも、強烈な論理的潔癖さによって、読む者を動かす力がある。しかし偶然の因子の認識以来彼には神秘思想と精神万能主義が生まれていて、それが彼の晩年の生活を支配したようである。
 その中の一つの現われである実生での科学医療法への不信、科学をも神秘感によって裏づけようとするモチーフを持つ晩年の諸短篇などに、それを見ることが出来る。
 作家としての横光利一の生涯は一つの大きな実験の連続であって、彼が企てた多くの新しい試みは、今日まだ十分に探求されてもいず、跡づけられてもいず、よく判断されてもいない。彼の歩いた道の各所に、私は今日の日本文学がまだ未解決でいる多くの問題を発見するのである。(一九五四・二・九)』

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