夜明け前と島崎藤村の足取り3

夜明け前と島崎藤村の足取り2の続きになります。ほるぷ出版の「夜明け前四 島崎藤村」に掲載されている三好行雄氏による解説は、「夜明け前」の解説と共に島崎藤村に対する深い研究が光っている内容です。以下、『』内の文章は左記の解説からの引用となります。「夜明け前」及び島崎藤村への理解の一助となれば幸いです。

『藤村は宿命の意図をたどるに似た自己凝視の果てに、父を通路とする歴史への眺望を手に入れた。自己に執しながら外への視線を回復するという、いかにも藤村らしい主題のアプローチが、『夜明け前』の歴史小説としての骨格を決定した。父は子の源泉であると同時に、理想像であり、また、歴史を描く原点でもある。青山半蔵は父と子の複合体として造型され、更に、その半蔵を軸として歴史を描くー作中のことばを借りていえば、〈草叢(くさむら)の中から〉(第一部十二章)歴史を見るという独創的な視点が設定されたのである。
 『夜明け前』の完成後、藤村は小説の意図について、つぎのように語っている。

 《あの作は御承知のように、維新前後に働いた庄屋、本陣、問屋の人たちを中心に書いたものでございます。維新前後を上の方から書いた物語はたくさんある。私はそれを下から見上げた。明治維新は決してわずかな人の力で出来たものではない。そこにたくさんの下積の人たちがあった。維新というものが下級武士の力によって出来たものだと説く人もございますが、私はそうではなしに庄屋たちがたくさん働いている。それは世の中にあまり知られていない。私の『夜明け前』は……そうした下積の人たちを中心にした物語でございます》(「『夜明け前』成る」談話)。

 『夜明け前』のねらいが簡明に語られている。もちおrん、庄屋だけが〈下積の人〉なのか、という疑問は残る。この小説の登場人物は標準語で語りあい、ごく召集の小前の農民たちだけが、正確ではないにしても、方言で話をする。小説の主題にかかわって動くのは標準語を使う人間たちであり、かれらの住む世界の下に、方言で語る貧しい農民の生きる地平がある。〈草叢の中〉という視点に、下層農民の眼がふくまれないのは確かである。
 青山半蔵の家は馬籠宿の本陣・庄屋・問屋の三役を兼ねている。村役人である庄屋は尾州藩徳川家の末端行政機関として領主の権力を代行し、宿役人である問屋は幕府道中奉行の直接の支配下におかれるわけだが、そうした微妙な二重性について、藤村の認識はかならずしも徹底していなかったようである。半蔵は支配者である大名や武士と、被支配者である農民層との中間者として位置づけられ、その半蔵がより下層の〈草叢の中〉の動きに目をとめるという形をとる。序の章に、背伐(せぎ)りの禁を犯した村民たちの処罰を、半蔵が〈眼を据えて〉見る印象ぶかい一節がある。これは半蔵の痛切な原体験のひとつとして、以後の生きかたに大きくかかわることになる。半蔵はしばしば〈貧窮な黒鍬や小前のもの〉の身の上を思い、きびしい運命に心を痛める。〈柔順で忍耐深いもの〉への思いは〈一つは継母に仕えて身を慎んで来た少年時代からの心の満たされがたさが彼の内部(なか)に奥深く潜んでいたから〉〈下層にあるものの動きを見つけるようになった〉(第一部第二章)と説明される。いうまでもなく、〈継母に仕えて身を慎んで来た少年〉という一行には、はやく母と別れ、東京へ遊学した藤村自身の記憶が仮託されていた。父のなかに自分の生の原型を見ようとするモチーフは、こういう形でも明らかにされている。
 〈草叢の中から〉歴史を描こうとした藤村の意図は、『夜明け前』を書くにあたって利用した資料の性格にも見てとれる。
 『夜明け前』の執筆のために、藤村は膨大な資料に目を通しているが、それはほぼ二系統に大別できる。ひとつは尾佐竹猛氏の研究など、啓蒙的な概説書をふくむ歴史学者の著書である。大正の末あたりから明治維新史の研究は急速に活発になったが、その成果もさりげなく取りこまれている。維新史だけでなく、風俗史や宿駅制度史などをふくめて、この第一系統の資料はいずれも後代の歴史学者によって体系化された歴史叙述にほかならないが、藤村はそれらに多くのものを学びながら、結局は作品世界の枠組みもしくは背景として利用したにすぎなかった。『夜明け前』の独創性を支えたのは、やや質のちがった別の資料群である。
 藤村の重視した第二系統の資料は、さらに三種類に分けることができる。第一は馬籠宿の年寄役大脇信興によって綴られた克明な日記(『大黒屋日記』)をはじめ、父正樹の遺稿(歌集『松か枝』その他)、蜂谷源十郎の八幡屋覚書、追分宿土屋氏の名主古帳など、木曾の山間に生涯を埋めながら時代の推移を〈草叢の中〉で確実に見ていた人間たちの遺した記録である。第二は、栗本鋤雲の『匏庵(ほうあん)遺稿』』や間秀矩(はざまひでのり)(作中の蜂谷香蔵のモデル)の『東行日記』など、幕閣の中枢にいたり、倒幕運動に参加したりして、時代の動向にたちあった人間の証言である。たとえば第一部第四章で、喜多村瑞見(ずいけん)の語る開港秘史は、鋤雲の回想「岩瀬肥後守事蹟」に拠っている。第三はケンペル。シーボルトらの『江戸参府紀行』やエルギン卿の『遣日使節録』など、開国を外からうながした西洋人の訪日見聞録。第二部第一章あたりの記述にも利用されているが、かれらの眼に映じた日本が現代のわれわれにどれほど奇異に思われようとも、それもまた、異邦人の新鮮な眼をレンズとする虚像にまぎれもない。
 この第二系統の資料は『大黒屋日記』にしても『匏庵(ほうあん)遺稿』』にしても、明治維新前後の動乱をさまざまな場所で体験した目撃者の証言として、事実に直面した人間の肉声を伝えている。『夜明け前』の作者は後代の学者による歴史認識よりも、体系化されない同時代人の証言をより確かな拠りどころとしてえらんだのである。』

夜明け前と島崎藤村の足取り4へ続く

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