夜明け前と島崎藤村の足取り5

夜明け前と島崎藤村の足取り4の続きになります。ほるぷ出版の「夜明け前四 島崎藤村」に掲載されている三好行雄氏による解説は、「夜明け前」の解説と共に島崎藤村に対する深い研究が光っている内容です。以下、『』内の文章は左記の解説からの引用となります。この解説も今回で最後になります。夜明けを感じさせる最後の一文が胸に響いてくる終りです。是非、最後まで読んでみて下さい。

『『大黒屋日記』は明治三年の記述をもって終る。あたかも第二部第六章で、明治二年の吉左衛門の死が描かれたあと、第七章は明治六年四月の半蔵を描くことからはじまる。明治六年は維新史のひとつの節目となった年である。この年の九月、岩倉具視を全権大使とする一行が欧米視察を終えて帰国している。先進文明に驚倒した岩倉らを中心に、徹底した文明開化政策が推進され、半蔵はまだ知らないが、明治日本はもはや引返すことのない近代化の道を歩みつづけることになる。いずれにしても第七章以後、とくに後半は半蔵が馬籠を出て自由な生きかたを選ぶためもあって、〈草叢の中から〉歴史を見るという視点は曖昧化してくる。
 王政復古の実現を信じた半蔵はまず農民たちの以外に冷淡な反応に失望し、街道制度の改革に耐えて、〈御一新〉に協力しようとするが、官有林の解放を求めた請願をくわだてて、戸長解任という報復的な処遇を受け、新政府からも裏切られる。失意をかさねつづける半蔵はやがて、かれが時代そのものから裏切られたことを知る。〈古代が来るかと思ったのに近代が来てしまった〉という、半蔵の幻滅と焦燥の思いは痛切だが、王政復古から文明開化へと転換してゆく時代状況との相関で、教部省への出仕や飛騨の宮司体験などをかさねて時代に絶望してゆく半蔵を描く手法は、第一部ほど成功しているとはいいがたい。というより、半蔵自身が時代から孤立し、皇国歴採用の建議や献扇事件のような、孤独で不毛な抗議行動しかとりえない。かれはドン・キホーテのように、ひとりで巨大な風車にたちむかうのである。
 理想にあざむかれ、時代に裏切られた半蔵はついに家人たちをも敵として狂死するのだが、その間、作者はかならずしも明確には描いていないあが、青山家の没落は宿駅制度を崩壊させた開明政策の結果でもあったはずで、父子別居の誓約書を強いられる(第十四章)半蔵の悲劇の根はふかい。
 藤村は半蔵の幻滅と挫折の悲劇を個性のドラマとして描いた。半生を克明に追うことに終始して、かれを狂気にかりたてる近代の本質をするどく抉り出す、というところまでは踏みこんでいない。そのかわりに、暗い怨念を抱いた男の性格悲劇を、苛酷な命運に対する無限の感慨をこめて描いた。萬福寺に放火し、座敷牢に押しこめられて狂死する半蔵の後半生自体が、文明開化にはじまる日本近代への痛烈な批評であり、その悲劇の背後には、日本人にとっての近代とはなんであったかという、現代のわれわれもまた避けて通ることのできない痛切な問いが隠されている。
 第二部の最終章、半蔵を葬る場面は圧巻である。歴史の時間を追う巨視の眼と、半蔵の生にはりつく微視の眼との往復が、もっともみごとに成功した場面である。

 《……掘り起こされる土はそのあたりに山と積まれる。強い匂いを放つ土中めがけて佐吉等(ら)が鍬を打ち込む度に、その鍬の響が重く勝重のはらわたにこたえた。一つの音の後には、また他の音が続いた。》

 時代をおおう〈不幸な薄暗さ〉は半蔵の生の薄暗さを彷彿し、鉄道に象徴される〈世紀の洪水〉をうけとめるのは、〈わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ〉という悲痛な独白である。『夜明け前』の最終章まで書きついで、藤村はまだ〈まことの維新の成就する日〉についてなんの答えもだしていない。しかし、『夜明け前』の首尾を貫流した歴史の時間がすべてここで、半蔵の墓穴を掘る〈鍬の響〉に収斂(しゅうれん)したとき、小説の構造として、ひとりの男の死が維新の転変を織りなした歴史の総体とよく拮抗し、均衡をたもつというみごとな幕切れをむかえた。だからこそ、最終章にただよう哀切な思いがそのまま、近代の奔流に呑まれた日本人の鎮魂歌と化しえたのである。藤村にとって、若くして逝った親友北村透谷(とうこく)へのレクイエムだったかもしれない。
 透谷は雑誌「文学界」の中心人物として、初期浪漫主義文学運動を主導し、藤村を文学へ誘った白面の批評家である。精神の自由を求め、現実にいどみつづけて挫折し、明治二十七年に、二十六歳で自殺した。死の一年前に書かれた随想「一夕観」に、つぎの一節がある。
 
 《ある宵われ窓にあたりて横はる。ところは海の郷、秋高く天朗らかにして、よろづの象、よろづの物、凛乎(りんこ)として我に迫る。あたかも我が真率ならざるを笑うに似たり。あたかも我が局促(きょくそく)たるを嘲るに似たり。あたかも我が力なく能なく弁なく気なきを罵るに似たり。かれは斯くの如く我に徹透す、而して我は地上の一微物、かれに悟達することの甚はだ難きは如何ぞや。(其一)
  ……漠々たる大空は思想の広(ひ)ろき歴史の紙に似たり。かしこにホーマーあり、シェークスピアあり、彗星の天系を乱して行くはバイロン、ボルテーアの徒、流星の飛ぶかつ消ゆるは泛々(はんはん)たる文壇の小星、ああ、悠々たる天地、限りなくきわまりなき天地、大なる歴史の一枚、是(これ)に対して暫く茫然たり。(其三)》

 第二部の十四章ー狂気の気配のようやく濃い頃、隠居所の二階から夜空を眺める半蔵も、満天の星を指さしながら〈あそこに梅田雲浜があり、橋本左内があり、頼鴨崖があり……〉と、明治維新にかかわって散った人々の名前を数えたてる。

 《月も上った。虫の声は暗い谷に満ちていた。かく万(よろず)の物がしみとおるような力で彼の内部(なか)までも入って来るのに、彼は五十余年の生涯をかけても、何一つ本当に掴むことも出来ないそのおのれの愚かさ拙なさを思って、明るい月の前にしばらくしょんぼりと立ち尽した。》

 これは「一夕観」のひきうつしに近い。半蔵の終焉を描く藤村は父のなかに、夭折した北村透谷の面影を想起している。藤村は透谷の光芒のようにかけぬける生きかたをついに学ばなかった。藤村がたえず振りかえりながら、そのかたわらをすりぬけた生きかた、狂気をみずからにひきうける鮮烈な情熱が青山半蔵に託して描かれたという意味でも、『夜明け前』はまさしく、藤村文学の最後の到達と呼ぶにふさわしい作品であった。』

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