自然主義における島崎藤村2

自然主義における島崎藤村1の続きになります。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から瀬沼茂樹氏による「藤村と自然主義」は自然主義の観点から島崎藤村を捉えた内容です。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

『 
 『緑葉集』の初期短篇から、『破戒』以後の長篇ではほとんど消えてしまったような「様々な可能性」ー生の哄笑、戯画化、風刺、ユーモア、残酷な観察などを指摘して、藤村の無頼派時代と呼んだのは、最近の亀井勝一郎の論である。この指摘はさすがであるが、ここで注目をひいているのはいわばスタイルの可能性といったようなものである。
 ところで、自然主義文学が「智を働かせ」て、硯友社文学にもみられる虚構を通じて、まさに「深く人生を知ると云う様な方面」を計量できる可能性をみせたということが、もっと根本的に重要なことである。
 自然主義が恋愛を考えるにしても「生殖の問題」に関係させていく、生物的に考えていく、初期短篇の主題が共通して愛欲であり、それも多く姦通である(藤村が主題を姦通に傾斜させた根本の動機は、後にみるように別に彼自身のうちに求められる)ことについては、改めて注意するまでもないことである。自然主義といえば、誰しもとかく第一にこの点に思い及ぶからである。しかし、そこでも、生殖を通じて、「生活の問題」に深く思いをひそめるところに、自然主義の本来の意義があったろう。藤村は、恋愛を考えるにあたって、生殖と並んで、「生活の問題」が「甚深な関係」にあることに着目しようとしていたし、それがまた『緑葉集』のもっていた根本の可能性に関係しているとすれば、それはどういう方向に、どういう内容をもつものであったかを調べてみなければなるまい。
 『雲』の自然観察と『緑葉集』の風俗研究とを媒介するものは『千曲川のスケッチ』である。明治四十四年から『中学世界』に連載された原型が明治三十五年頃に書かれたという稿本とどういう関係にあるか詳かにできないが、たとえ後年の筆が相当に加わっているにせよ、『緑葉集』や『破戒』にいたる過程のものとして当然に踏まなければならぬものである。『雲』の自然観察からミレーやコローの風景画としての風俗描写を思えば、『千曲川のスケッチ』は極めて自然に浮かびあがってくる人事観察ではあるまいか。ダーウィンやツルゲーネフの『猟人日記』を思い、「従来小説等には全然看過されて居た生活問題」が、『雲』の自然観察の次に、気象から農耕へ、何の飛躍もなくとる「民情」観察になっているといってよかろう。
 『千曲川のスケッチ』には、藤村の小諸生活、小諸義塾の生活もかなりに描かれているが、それにもまして、「地方生活」が克明につづられている。その「地方生活」も、どちらかといえば、農夫の生活が中心になっている。ことに「君はどれ程私が農夫の生活に興味を持つかということに気付いたであろう」(『農夫の生活』)というように、農民生活に深い関心がそそがれていく。なかでも『収穫』のように、ミレーの或る画を連想させるタブロオ、スケッチもある。藤村文学を考えるものには、これは叙事詩『農夫』(『夏草』所収)などとかわらない根本的な傾向と思うにちがいなあいが、ここでは叙事詩のような物語性をすらことさらに作為せずに、ただめぐまれぬ自然や風物のなかに労苦する農民の労働生活に温い愛情をよせ、かえってその故にその日常を、ありのままに静かに切りとってみせるというタブロオになっている。
 藤村がふみこんだ「生活の問題」は、かくてまず農民生活への関心のうちに結晶する。ところがここではまだ「局部の描写」が多くて「大体を観察し、更に進んで之を批評し解釈しようとする」ところまで十分に展開しているわけではない。なぜなら、ここに描かれる農民生活は、いわば自然と人間の関係が表だって関心せられるにとどまるからである。『農夫の生活』で、「彼等に近づけば近づくほど、隠れた、複雑な生活を営んで居ることを思う」という一例は、ここの小作が語る雑草の悩みのように、自然とたたかって生活している面が重点になっている。藤村が観察し、批評し、解釈しようとしたものは、このような面だけではなかったはずである。
 長塚節の『土』に先駆する農民小説となる可能性もあったはずの『小作人の家』は、地主と小作人の関係にふれ、他のスケッチには概して自然関係に掩(おお)われていた人間関係が生活の問題として露頭をあらわしてくる。しかし小作争議は隠居の昔話として出てくるだけで、「御年貢」の俵づくりに、「百姓らしい話」が運ばれていく。ここでも、自然関係や人間関係が、それぞれの「局部の描写」に支配されていて、まだ「大体」の観察に綜合され、批評・解釈されるところまでいたっていないが、しかし次第にその方向を志向し、貧しい人たちの生活関係にふみこんで、人生を知るところに出ていこうとする気配がみられる。
 こういう点から一歩つきすすんだものを求めるとすれば、やはり『破戒』にいかなければならない。自然主義文学としてのわが国における最初の可能性は『破戒』が顕にしてきたいわゆる社会性は一応は主人公の瀬川丑松が部落民であるという社会関係、これにともなって地方教育界、政界、財界、その他の条件に直接に描き出されてくるものであるが、それだけではあるまい。それだけだとすれば、丑松という特殊な不合理な存在がとりあげられながら、ここですこしでも部落解放という社会問題を解決しようとも、また解決されるとも考えていないことに、不足を述べなければならない。
 
 ところが、社会的な慣習としての風俗は、一片の法制では左右できない深い人間関係に即していたし、だからこそ丑松の内側からの悲劇も生まれてきたわけであろう。藤村が、農民生活によせたような深い関心が、虐げられた人たち、このような特殊な被厭迫階級の側に立って、彼なりにその人間的な自覚と飛躍とをつきつめていこうとし、またいくことができた、それが本来の社会性であったのだ。
 もちろん、特殊な部落民を扱った社会小説、風俗小説としては、これはもはや「過去の物語」に属するものにならう。風俗には常にそういう時代の腐蝕がみられる。その上に、ゾラの系統にたつ正統な自然主義文学と考えるためには、教育界、政界などの社会関係の分析は、いかにもブッキッシュで、すぐれた自然描写に及びもつかないといえる。
 そういう面から考えていけば、明治三十年代の信州の風俗研究としても、いたらぬところが多かった。初めから自然的な社会誌、または社会的な自然誌を書くという意図はなかったのではないかと疑われよう。果してそうだろうか。
 環境と遺伝を原理とする自然的な社会誌のようなものが、注意深く、豊かに基調にあることは丑松の経歴を用意するところにみられている。いや、根本的には、丑松をめぐる人間関係が、たとえいかにブッキッシュな面をもっているにしても、藤村としては慎重な実証的踏査の上に成立していることは認めなければならず、このような社会的な虚構が実証と研究との上にきづかれたことの新しい意識ー民衆の側から行われていることを考えなければならない。
 今日における『破戒』の意味は瀬川丑松の形成、そこにおける近代的人間の自覚と解放との普遍的な意義にあることは、いうまでもない。そういう内外のせめぎあいの場として、章悦の社会性は考えられなければならないことを示唆する。しかし、半面において、藤村が自己の分身として虚構のうちに丑松を設定し、その追求が『春』以後の岸本捨吉の原型となったこと、その因由と意味とは、『破戒』を『春』の自伝的文学への出発点とさせ、かくして日本自然主義が前期から後期へと移行する。それにしても、『破戒』においてはとにかく岸本捨吉ならぬ瀬川丑松に仮託し、虚構を通じて主題を展開させたところに、やはりまだ自然主義の正当性を主張する作品になている。』

タブロオ・・・絵という意味。あるいは、表。
ブッキッシュ・・・本好きの。書物に凝った。あるいは、堅苦しい、学者臭い。これ以外では、(軽蔑して)机上の。非実際的な。という意味を持つ。

自然主義における島崎藤村3へ続く

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