自然主義における島崎藤村3

自然主義における島崎藤村2の続きになります。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から瀬沼茂樹氏による「藤村と自然主義」は自然主義の観点から島崎藤村を捉えた内容で、今回が最後になります。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

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『  
 わたしはふたたび『緑葉集』の「千曲河畔の物語」五篇に帰らなければならない。この五篇は『雲』から『千曲川スケッチ』『破戒』にくらべると、いかにも別格のようにみえる。それは、自然観察から社会観察へとすすみ出ていく線にたいして、これらの五篇が愛欲を主題とし、そのことにおいて自然主義的であるにしても、異質だとみえるからである。しかし、もしこれらが「田舎風俗」の種々相であるという点に思いをめぐらし、この面からその題材とする愛欲や姦通をかえりみれば、これまた地方風俗の様態として考えられないこともないのである。さらに藤村の使った説明をもちいれば、それはまさに「民情」として、また別箇の「生活の問題」でありえたわけである。「民情」とは人民または民衆のありさま、暮らしむきの様子であり、ここで愛欲を中心としていえば、性を通じてみた「生活の問題」、性風俗でもあったとみられる。ただし、厳密にいって、藤村のコント・ドロラティクというべき作品は『爺』一篇だけで、これが僅かに「性の哄笑」という名に値する「えげつない」作品だったといえば、いえよう。
 「千曲河畔の物語」は、藤村自身が部類わけしてみせたように、まず信州の各地方の風物誌である。男女の風俗は風物誌のなかにおける「生活の問題」で、銀行家、牧夫、女教師、画家、その他を通じてみた地方生活である。『ボヴァリー夫人』と『人形の家』とを結びつけた「人形妻」の姦通を描く『旧主人』にせよ、『寂しき人々』からの示唆を認められる夫婦双方の側における姦通の危機を示す『水彩画家』にせよ、自然主義文学が虚構の世界を、こういうさまざまな地方人の側から描いてみせる可能性をみせたものと考えられる。この上に立って、これらが特に女性の姦淫、堕落を一貫したテーマとしていることは、この時期を描いた『家』に、また『水彩画家』のモデル問題からの藤村のアポロジーにみるように、新婚の自分の妻に恋人があり、不謹慎な文通をしていたことから受けた藤村の打撃、それから出た女性への不信と嫉妬と復讐とを動機とすることはいうまでもない。
 藤村に女性への不信と蔑視と復讐とがあり、『爺』の集団姦淫を極端な例とするまでの一連の性風俗を描いて「千曲河畔の物語」としたとすれば、これらの作品のスタイルの可能性と内容の奔放、その性の肯定とをもって、たとえ作品の美的イデーとしたにせよ、そこに「あそび」を認め、「無頼派」をたてることはどうであろうか。むしろ女性への不信が「女性の堕落」をつきはなして、これをいろいろと試みてみたもの、藤村にとっては極めて厳粛な探求であったと考えるべきものではなかろうか。しかも作品の内容はかならずしもデカダンス(無頼)を表現しようとしたものではなかった。逆に、このような作品を通じて「女性の堕落」から「人間に通有なる荒廃的傾向」について考えていた、或いはいこうとしていたとみられるからである。もし単に「あそび」から「女性の堕落」を、無頼にさまざまな可能性においてこころみてみただけの作品であったとしたならば、誰が今日このような作品に興ずるであろうかとも、いいうるだろう。
 「千曲河畔の物語」が「女性の堕落」を題材としながら、五篇に描きわけられたところは、厳粛にこの問題に思いをひそめ、さまざまに考え、究めようとしたからである。それは自己の内心の「荒廃的傾向」にも気づいたからではあるが、小説こそ彼の「思想(かんがえ)を現すに最も相応しい形だ」という彼の文学的信念ー自然主義文学から得た判断の実現を試みたものであり、そこにイプセン流の「冥想」もあったにちがいあるまい。その上でのスタイルの種々相なのである。わたしがこのようにいうのは、実は雑誌『新古文林』が『女は如何なるハヅミにて堕落するか』ー当時の「女学生問題」に関連して出された問に答えた藤村の談話(明治三九・一○)が、一種の「千曲河畔の物語」の思想的決算のようにみえるからである、なかには五篇のうちの題材と一致する考え方さえも出ている。
 この文章は、女子の堕落の原因は「人間に通有なる荒廃的傾向」とみた上で、さらに細分化していく。無知、懶惰(らんだ)、浮気、過度の虚栄心なあどの「性格の欠陥」、無職業、反動、変化のない生活などの「境遇」、萎縮、荒廃、無思想の状態などの「社会一般の空気の堕落」が、これである。たとえば『旧主人』の女主人公の堕落は、変化のない生活を「境遇」とし、一種の虚栄心を「性格」とする場合と、単純化して考えられないこともない。さらに、「女子特有の性質」として、愛情の激しい念とか、あるいは競争心とか、過度の性欲(女子の月経との関係)とかを挙げている。こらは堕落の初期の原因で、「人生に対する絶望ーその悲惨な経験ー斯うこうことは女の性質を一変させて、全然自暴自棄の人たらしめる」と、「深く落ちて行く原因」をあげている。
 
 これは「女子の堕落」の原因を考えるものとしては、いまでは常識的で、かならずしも珍しい独自の思想ではないかもしれぬ。しかし胸に浮かんだままの談話として、このようなものの考え方が自然に浮かび、性格と境遇、さらには生理的原因を算えるとは、きわめて自然主義として正統な考え方であり、ここに「千曲河畔の物語」の実験をへて結晶した思想を認めても、すこしも奇とはしないであろう。
 そして、藤村が虚構を通じてさまざまに試みてみようとした思想は「女性の堕落」だけではなく、『旧主人』『水彩画家』にみられる新旧思想、『破戒』の「父と子」の問題等、細かに考えれば、さらにいろいろある。しかも思想を小説に試みよう、試みることができるとしたのがこれらの小説の意図の一つであり、小説こそこれに適した形式と考えるようになったことが、自然主義を通じて獲得した最初の、大切な文学観であったというべきであろう。
 しかし、この文学観は獲得したときに、小説形態を早くも内から変形することになる。
 わたしは、藤村と自然主義と題して、明治三十年代の前期自然主義時代ーそれは自然主義として本格的なものであったーにおける文学観を、具体的にみるだけで、この問題を残して、あわただしく筆を擱(お)かなければならない。』

アポロジー・・・謝罪、陳謝あるいは正当性を主張すること。
イデー・・・ドイツ語で理念のこと。

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