最晩年の織田作之助2

1では、小笠原貴雄が妖婦以外の作品を遂に織田作之助に書いて貰うことができなかった、と書いておりましたが昭和22年に風雪社から「妖婦」というタイトルで妖婦以外の織田作之助の作品をまとめた上で、作品集を刊行しております。収録された作品は「二十番館の女」、「奇妙な手記」、「見世物」、「写真の人」、「湯の町」、「鬼」、「漂流」、「昨日、今日、明日」からの「妖婦」が掲載されております。
以下、下記の『』内の文章は六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。
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最晩年の織田作之助1

六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」には、小笠原貴雄が没後の織田作之助に寄せた最晩年の織田の姿が書かれています。以下、下記の『』内の文章は左記の本から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。

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林芙美子が語る織田作之助

林芙美子が織田作之助の死後、新潮社から出版された土曜夫人の解説として掲載された文章です。文中で、林は織田と初めて会った時のことを綴っていますが、この内容については織田自身が書いた「可能性の文学」の中で「林芙美子さんですら五尺八寸のヒョロ長い私に会うまでは、五尺そこそこのチンチクリンの前垂を掛けた番頭姿を想像していたくらいだから」と明記しており、いかに二人が初対面にも関わらず深く意気投合したかが窺えます。
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杉山平一が語る織田作之助4

今日は8月7日で台風が日本を縦断中ですね。織田作之助にとって、8月6、7日は忘れがたい日なのです。織田が妻の一枝を亡くしたのは、8月6日で夜に入ってから台風が直撃。葬儀は7日に営まれ、風雨の激しい中、出棺されました。この事は、織田の日記に詳しく書いてあります。まるで、今日のような日に織田は涙を流し日記に於いて「妻なし子なしやるせなし」と綴りました。さて、長くなりましたが杉山平一が語る織田作之助も今回で最後になります。ここまでおつき合い下さった皆様方、ありがとうございました!
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杉山平一が語る織田作之助3

織田作之助の全集には、杉山平一宛の書簡が掲載されており、「夫婦善哉」が発刊された当時の状況や二人が参加していた同人雑誌「海風」についての様子が伝わってきます。終始、清明で真摯な内容の手紙類は、小説や随筆だけでしか織田作之助を知らない方にとっては、意外なほど彼を紳士に感じるかもしれません。
また、これらの手紙には戦時下にあって織田の本が発禁されてしまう苦しい旨も記述されて、当時の彼の苦労が偲ばれます。
以下、下記の『』内の文章は六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。
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杉山平一が語る織田作之助2

織田作之助の親友であった杉山平一の「織田作之助について」を受けて、織田自身は、この文章に対する回答として随筆「杉山平一について」を残しています。織田の随筆は、現在青空文庫に多く収載されていますが、この杉山氏についての随筆は未収録です。ですが、昨今の文豪ブームでもしかしたら心ある方がボランティアで入力して青空文庫に掲載して下さるかもしれませんね。
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杉山平一が語る織田作之助1

杉山平一は織田作之助の親友であり詩人だった方です。杉山氏は大学に在学中、三好達治に詩才を認められ「四季」に参加。他にも織田作之助と共に同人雑誌を出したり、中原中也の恋人であった長谷川泰子の夫君が設立した、当時の中原中也賞を貰ったりしています。(現在の中原中也賞は、記念館主催の賞であり杉山氏が貰った賞とは主催元が違います。)
以下、下記の『』内の文章は六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。
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