最晩年の織田作之助4

本コラムも、今回で最後になります。おつきあい下さった皆様方、大変ありがとうございました。今回は、作中にて「死ぬる」という表現が登場しますが、これは執筆者である小笠原貴雄が山口県出身であるため、方言をそのまま書いたものだと思われます。意味は、死ぬ、または死ぬのか、です。
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最晩年の織田作之助3

今回のコラムの最後には昭和21年4月に雑誌「改造」に発表された「競馬」の元になったとおぼしきエピソードが含まれており、読んでいて興味深く感じます。小笠原貴雄は、競馬に入れ込む織田作を気ままに生きているように受け取っていますが、「競馬」を読むと精神的にはかなりギリギリの心持ちの主人公が描かれています。競馬をやる楽しさの裏側には、やはり精神的な痛苦がある程度はあったのではないでしょうか?
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最晩年の織田作之助2

1では、小笠原貴雄が妖婦以外の作品を遂に織田作之助に書いて貰うことができなかった、と書いておりましたが昭和22年に風雪社から「妖婦」というタイトルで妖婦以外の織田作之助の作品をまとめた上で、作品集を刊行しております。収録された作品は「二十番館の女」、「奇妙な手記」、「見世物」、「写真の人」、「湯の町」、「鬼」、「漂流」、「昨日、今日、明日」からの「妖婦」が掲載されております。
以下、下記の『』内の文章は六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。
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最晩年の織田作之助1

六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」には、小笠原貴雄が没後の織田作之助に寄せた最晩年の織田の姿が書かれています。以下、下記の『』内の文章は左記の本から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。

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