織田作之助の随筆「大阪の詩情」2

オダサクが語る「大阪の詩情」は今回で最後になります。恐らく、最後まで読み切った後は、静かに余韻に浸りたい気持ちになるかと思いますので、先におつきあい下さった謝辞を述べておくことにします。読んで下さってありがとうございました!
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織田作之助の随筆「大阪の詩情」1

個人的に「大阪の詩情」は織田作之助の随筆の中では好きな作品の一つですが、青空文庫には未掲載です。織田作之助を取り巻く、大阪界隈に潜んでいる詩情の一端に触れられたらと思います。
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織田作之助の「杉山平一について」2

このコラムも、今回で最後になります。おつきあい下さった皆様方、ありがとうございました!後半の内容は、織田と杉山の友人としてのつきあいや、心置きなく色々なことを語り合う間柄であったことを感じさせます。
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織田作之助の「杉山平一について」1

織田の「杉山平一について」という随筆は、先に杉山が「織田作之助について」という文章を発表した事を受けての内容となっております。そのため先に「杉山平一が語る織田作之助1」シリーズを一読してから、こちらの随筆を読むことを推奨します。
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最晩年の織田作之助4

本コラムも、今回で最後になります。おつきあい下さった皆様方、大変ありがとうございました。今回は、作中にて「死ぬる」という表現が登場しますが、これは執筆者である小笠原貴雄が山口県出身であるため、方言をそのまま書いたものだと思われます。意味は、死ぬ、または死ぬのか、です。
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最晩年の織田作之助3

今回のコラムの最後には昭和21年4月に雑誌「改造」に発表された「競馬」の元になったとおぼしきエピソードが含まれており、読んでいて興味深く感じます。小笠原貴雄は、競馬に入れ込む織田作を気ままに生きているように受け取っていますが、「競馬」を読むと精神的にはかなりギリギリの心持ちの主人公が描かれています。競馬をやる楽しさの裏側には、やはり精神的な痛苦がある程度はあったのではないでしょうか?
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最晩年の織田作之助2

1では、小笠原貴雄が妖婦以外の作品を遂に織田作之助に書いて貰うことができなかった、と書いておりましたが昭和22年に風雪社から「妖婦」というタイトルで妖婦以外の織田作之助の作品をまとめた上で、作品集を刊行しております。収録された作品は「二十番館の女」、「奇妙な手記」、「見世物」、「写真の人」、「湯の町」、「鬼」、「漂流」、「昨日、今日、明日」からの「妖婦」が掲載されております。
以下、下記の『』内の文章は六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。
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最晩年の織田作之助1

六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」には、小笠原貴雄が没後の織田作之助に寄せた最晩年の織田の姿が書かれています。以下、下記の『』内の文章は左記の本から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。

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林芙美子が語る織田作之助

林芙美子が織田作之助の死後、新潮社から出版された土曜夫人の解説として掲載された文章です。文中で、林は織田と初めて会った時のことを綴っていますが、この内容については織田自身が書いた「可能性の文学」の中で「林芙美子さんですら五尺八寸のヒョロ長い私に会うまでは、五尺そこそこのチンチクリンの前垂を掛けた番頭姿を想像していたくらいだから」と明記しており、いかに二人が初対面にも関わらず深く意気投合したかが窺えます。
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杉山平一が語る織田作之助4

今日は8月7日で台風が日本を縦断中ですね。織田作之助にとって、8月6、7日は忘れがたい日なのです。織田が妻の一枝を亡くしたのは、8月6日で夜に入ってから台風が直撃。葬儀は7日に営まれ、風雨の激しい中、出棺されました。この事は、織田の日記に詳しく書いてあります。まるで、今日のような日に織田は涙を流し日記に於いて「妻なし子なしやるせなし」と綴りました。さて、長くなりましたが杉山平一が語る織田作之助も今回で最後になります。ここまでおつき合い下さった皆様方、ありがとうございました!
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